[未校訂]七月二日 七ツ頃小地震ふるひ申候
十七日(七月) (前略)京都当月二日大地震にて二条様大仏様
大破損、其外所々破志かし塔并清水舞台抔ハ無事之由、
其後毎日小き地震間もなく、当十二日立之人津幡止宿
ニ而則十二日迄止ミ不申、誠ニ前代未聞之凶変と申事、
尤二日之地震ニハ天子様も二条之地面広キ所へ御下り
被為遊候よし、京中無商売にて人々安キ心もなく不審
ニ思ひ居候事
日命乾宮
右ハ風説ながら実正之体ニ御座候
九日(八月) (前略)京都七月二日乃大地震、夫より今に至り
毎日昼三度夜二度程ツゝゆるき、追々堂塔宮殿町家の
破損出火賊難人死夥しく、恐多も禁裏の御築地御構も
折々倒れ、修理の隙迚もなく、丹波ゟ守護代として防
き方に五百人指向ひども、地震の事故手段もなく只祢
免□暮す斗なり、京都ハ町並碁ばんわり故角家多く、
右角家より倒れかゝり其重ミにて追々潰れ、戸じまり
の手段もなく河原藪抔へ大勢寄集り居申ニ付、賊共附
込[媚美|ミメ]よき娘子共を奪ひ去り、諸道具器財等の紛失言
語に絶し、誠ニ男女剛柔の差別なく京中の人面の色も
無薄氷を踏むの心にていかなる凶変も出来申やと手に
汗をにぎり♠(ママ)然たる有様也、七月二日己来四十日の日
数ゆるき、其上丹波之山鳴り申事奇怪いふばかりなし、
四神相応の地といひ霊仏霊社数ケ所有之、殊ニ王皇公
卿の御座なさるゝ地のかゝる凶事ハ前代未聞の事共な
り
十三日
(九月)○京都大地震評判忠臣蔵抜文句
嘸都免つらしかろふ 此度の大地震
雨戸はつれてばた〳〵 二日七ツ時
仕様もやうもないわいな 病人のやり所
船に乗たやうてこわいわいな 時々の小地震
思へは足も立かぬる 産病人
主人を大事と存るから 逃ても行れぬ家来の身
ほんにかうとハ露志れす 土御門でも
幕打廻シ威義を正して 本能寺の土居崩れ跡
夜は乱てあらわるゝ 四条河原に夜明の内義
達
ざわ〳〵と見苦しい 建仁寺藪の中芸子おや
ま
娘覚悟はよいかや いざ行ん二条河原へ
よもや〳〵と思ひ共 又をも知れぬ大地震
仕様を爰にて見せ申さん 町中の小屋かけ
風に吹れて居るわいな 潰小屋の乞喰の如く
面目もなき此仕合 蔵々の大損シ
阿ゝ覗見すな 宮様方の崩れ土塀
加程の家来を持なから 不残青いかほ
われ三方のふちはなされ 神棚より落たる品
其儘にも捨置れす 落かわら
先は賢固て御無事でと 互に無難の挨拶
皆口のはに言ひはやす 世直し〳〵
是かうろたへすに居ら里ふか 家か潰れそふな
[♠|タヅキ]はつして飛て出る 餅屋の下女等
些少なからと指出す 四条河原の床几かりち
ん
御遠慮には及ばぬ事 我先と逃次第
我為の結ふの神 人々髷にくゝりし守札
等
この程の心つかへ 二日より六日迄
合点が行ぬこ里やどふじや 余り長地震
祇園清水智恩院大仏さん 是等はさわりなし
御ろふじたか
狂歌
金持も乞喰も同し四条河原只に世直し
三夜さ夜明し
瀬戸物や茶碗われたは無理でなし
四条辺りの地さへ大われ
京中の蔵は残らすきずたらけ
世直しならて跡直し也
家に居れハ阿らあやうしと町中に
無分別なる戸障子の小屋
人心また落付ぬうき船の
波の夜る昼るいふる小地震
ゆたかなる年のきさしの大地震
なべて世の中よしや世直し