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項目 内容
ID J1002542
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1830/08/19
和暦 文政十三年七月二日
綱文 天保元年七月二日(一八三〇・八・一九)〔京都〕
書名 〔応響雑記〕○富山県氷見
本文
[未校訂]七月二日 七ツ頃小地震ふるひ申候
十七日(七月) (前略)京都当月二日大地震にて二条様大仏様
大破損、其外所々破志かし塔并清水舞台抔ハ無事之由、
其後毎日小き地震間もなく、当十二日立之人津幡止宿
ニ而則十二日迄止ミ不申、誠ニ前代未聞之凶変と申事、
尤二日之地震ニハ天子様も二条之地面広キ所へ御下り
被為遊候よし、京中無商売にて人々安キ心もなく不審
ニ思ひ居候事
日命乾宮
右ハ風説ながら実正之体ニ御座候
九日(八月) (前略)京都七月二日乃大地震、夫より今に至り
毎日昼三度夜二度程ツゝゆるき、追々堂塔宮殿町家の
破損出火賊難人死夥しく、恐多も禁裏の御築地御構も
折々倒れ、修理の隙迚もなく、丹波ゟ守護代として防
き方に五百人指向ひども、地震の事故手段もなく只祢
免□暮す斗なり、京都ハ町並碁ばんわり故角家多く、
右角家より倒れかゝり其重ミにて追々潰れ、戸じまり
の手段もなく河原藪抔へ大勢寄集り居申ニ付、賊共附
込[媚美|ミメ]よき娘子共を奪ひ去り、諸道具器財等の紛失言
語に絶し、誠ニ男女剛柔の差別なく京中の人面の色も
無薄氷を踏むの心にていかなる凶変も出来申やと手に
汗をにぎり♠(ママ)然たる有様也、七月二日己来四十日の日
数ゆるき、其上丹波之山鳴り申事奇怪いふばかりなし、
四神相応の地といひ霊仏霊社数ケ所有之、殊ニ王皇公
卿の御座なさるゝ地のかゝる凶事ハ前代未聞の事共な

十三日
(九月)○京都大地震評判忠臣蔵抜文句
嘸都免つらしかろふ 此度の大地震
雨戸はつれてばた〳〵 二日七ツ時
仕様もやうもないわいな 病人のやり所
船に乗たやうてこわいわいな 時々の小地震
思へは足も立かぬる 産病人
主人を大事と存るから 逃ても行れぬ家来の身
ほんにかうとハ露志れす 土御門でも
幕打廻シ威義を正して 本能寺の土居崩れ跡
夜は乱てあらわるゝ 四条河原に夜明の内義

ざわ〳〵と見苦しい 建仁寺藪の中芸子おや

娘覚悟はよいかや いざ行ん二条河原へ
よもや〳〵と思ひ共 又をも知れぬ大地震
仕様を爰にて見せ申さん 町中の小屋かけ
風に吹れて居るわいな 潰小屋の乞喰の如く
面目もなき此仕合 蔵々の大損シ
阿ゝ覗見すな 宮様方の崩れ土塀
加程の家来を持なから 不残青いかほ
われ三方のふちはなされ 神棚より落たる品
其儘にも捨置れす 落かわら
先は賢固て御無事でと 互に無難の挨拶
皆口のはに言ひはやす 世直し〳〵
是かうろたへすに居ら里ふか 家か潰れそふな
[♠|タヅキ]はつして飛て出る 餅屋の下女等
些少なからと指出す 四条河原の床几かりち

御遠慮には及ばぬ事 我先と逃次第
我為の結ふの神 人々髷にくゝりし守札

この程の心つかへ 二日より六日迄
合点が行ぬこ里やどふじや 余り長地震
祇園清水智恩院大仏さん 是等はさわりなし
御ろふじたか
狂歌
金持も乞喰も同し四条河原只に世直し
三夜さ夜明し
瀬戸物や茶碗われたは無理でなし
四条辺りの地さへ大われ
京中の蔵は残らすきずたらけ
世直しならて跡直し也
家に居れハ阿らあやうしと町中に
無分別なる戸障子の小屋
人心また落付ぬうき船の
波の夜る昼るいふる小地震
ゆたかなる年のきさしの大地震
なべて世の中よしや世直し
出典 新収日本地震史料 第4巻
ページ 563
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 富山
市区町村 氷見【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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