[未校訂]文政十三庚寅年七月二日
京都大地震の事
二条御城内ニて眼前見聞の
日記 飯室昌直誌
六月廿九日
快晴暑気堪艱く夕方空色紅の如し
七月朔日
快晴同断今暁八ツ半時頃四条綾小路ゟ出火今朝五ツ時前
鎮火同日夜ニ入蒙朧として星の光なし
同二日
快晴同断昼頃ゟ雲立八ツ過ゟ遠雷の如く鳴動人々夕立を
待居候処七ツ時過どろ〳〵と地震致余程強く地震壱度扨
ハ雷鳴にてハなし地震の響キなりしやゆり返し難斗と申
折から天地もくつがへる斗りに動揺す折節昌直御小屋へ
石野広直来り椽頬にて物語りして居たる儘庭江立出候得
共、庭の内狭く御小屋倒れかゝらば押に打れん事疑ひな
しと植木の蔭に両人彳居て(タタズミ)御小屋を見れハ軒端は凡三尺
余りもゆり上ゆり下ケ見るも恐敷目くろめき迚も助るべ
きとも不覚ふと心付此まゝ押に打たれんよりは一ト先広
場に遁れ出て見はやと申せは広直も然るべしとて再ひ御
小屋へ走入大小を取出し走り出んとすれども両人共に足
踏止らすやふ〳〵椽頬へ出たる時御小屋の窓の鴨居はつ
れて落懸りぬ今一足遅からはかしらを打るべかりしを両
人共ふしきに危を遁れ庭へ出立たれ共いまたゆり止す大
地ゆらめき足踏とまらすよろめきなから広直は竹垣を押
破らんとす昌直は木戸を開かんとせしにきのふ新敷戸を
入替ていまた鉄物なく荒縄にて強結置たれ急に開き難く
と斯する内地震は夥敷家の崩るゝ物音譬難し不覚大喝一
声さけびて押破り御小屋を遁れ出広場に至り広直と顔見
合唯忙然として立居たる所に組頭はじめ追々相寄集り来
る又物音夥敷御小屋動く有様物凄く四方砂煙混々として
鳴動する事小半時余り少く鎮りてたかいに無恙事を賀し
銘々御小屋へ立戻る昌直御小屋ハ鴨居はつれ壁落せんか
たを失ふ下々の者怪我なきやと呼われハ追々走り出つゝ
がなし此時よく心落付たれ共鳴動少しも止すゆり返し難
斗とて皆々広場へ戸板楷子なと思ひ〳〵に持出し与頭始
め此所に集り人数を改めみるに鈴木氏鎮目氏両人不見へ
御小屋へ尋行て見れハ鈴木何某は此頃足強く痛て一足も
歩行事叶す此折節幸ニ厠ゟ出て家の子の肩にすかり椽頬
に立出たる折節なれは其儘家の子の肩に懸りて庭に出た
るよしはや家ハ倒たれ共主従共つゝがなく此前に有り相
番相集り広場へ伴ひ来れり鎮目何某は昌直尋行て見れハ
聊驚たる気色もなく庭に彳居たり斯□折節なれハとく広
場へ罷出はとすゝむれ共不随与頭始めしか〳〵の由申せ
共最早さまでの事は有ましとて御小屋の内へ入て出ずい
さゝか驚たる体なし此由与頭へ申通し候得は扨々大胆な
る人なりと一同批判申候
一相番西山御小屋を走りかる時下々の者にも早く立退候
得と声を懸て出し時中間の内壱人ハや家の倒るゝ程の
事ハ有ましと云ひて落附たる詞の下に忽台所の梁落
かゝる叶わじと駈出る後より大壁落重りたれは其儘椽
(縁カ)下に這入たる由梁も壁も落重りたれと椽(縁カ)にさゝへて
身に当らす其後椽(縁カ)下ゟ這出して少しも怪我なかりし
は鳴呼(滸)の振舞なれとも急難を遁れつゝがなかりしハ不
思議なる事に候
一東番頭御小屋玄関広間倒れ同所与力同心の御小屋倒れ
門前の地面裂申候
一東組御番衆御小屋五拾軒ノ内全く倒候は壱ケ処其余は
台所納戸下部屋等倒れ候而已ニ御座候ケ様成大変の中
に相番中并下々に至る迄聊も怪我人無之候事誠に一統
の仕合に御座候
一西組御番衆御小屋四拾九軒の内廿四軒は二日同時に倒
れ其余追々三日目迄に倒れ残り拾九軒ニ相成候
下々怪我人七八人有之候内大怪我と申候は長田亀吉親
方并中間弐人大地震の節食事致居候の処右の騒きにて
裏口へ馳出候処御石垣崩懸り取て返内へ入候処家倒れ
て三人共押にうたれ申候得共地震鎮り候迄人々心付不
申人数改候節長田家来三人不相知所々見廻り候時御小
屋倒候中にうなり声聞へ候間取片付候処台所の壁の下
にて痛しいたしと申居候由取除ケ中間弐人共引出し候
由両人共壁にて押へられ候斗りにて格別の怪我も無之
親方の行衛不知中間へ相尋候処欠出し候時一所と覚居
候得共其後は不存此所に居り可申由に付追々取除け候
得は大梁の下に敷れ気絶致し居候屋根道具落たり急に
取片付出来兼候儘鋸にて梁の中半を挽切候て引出し候
由怪我人は気付相用正気付候得共背中を強く打れ候て
助命覚束なきよしに承り候
一御本丸南の方御焔焇蔵石垣そんし同所与力同心小潰(ママ)れ
同心三人大怪我同七八人手負申候よしに候
一西北御門石垣崩れ御土塀凡九百何十間と申場所の内四
百五拾間余倒れ申候其外御櫓御多門御宝蔵損し石垣孕
所所々有之候得共憚りて略之
一御小屋外廻り御本丸御堀端地面巾弐寸位裂申候
同三日
暮六ツ時ゟ広場へ戸板敷銘々野陣三ケ処下々は御小屋前
通りへ差置入口へ提灯付置専らゆり返しの用心致候時々
地震数を知す同五ツ時諸司代御上り両番頭同道所々見分
此節在役の持場〳〵の御櫓に相詰候内地震にゆられ候節
は人心地無之よし
一見分相済即刻壱番の早打江戸表へ御注進有之候
一同時両番頭諸司代へ参会非常の御手当評定有之候由明
日御番方ゟ与頭壱人御番衆両組にて四人江戸表へ早打
の御注進の趣に候所御本丸御別条無之ニ付無此儀相止
候
一同九時番頭ゟ申触有之今日の変時ニ付土御門ゟ勘文を
奉捧今丑刻ゆり返し可有之重き御情の由奏聞有之候に
付諸司代は御所為守護参内の由依之皆々驚き野陣致し
候処子ノ刻頃余程強き地震有之鳴動止すづん〳〵と鳴
り響き又子ノ下刻地震家の鳴り渡る音夥敷竹垣から
〳〵と音立申候野陣故格別に不致地響は余程強く覚候
土御門の勘文旁丑の刻を待候処子ノ刻両度の地震にて
鎮り候
夕七時ゟ丑の刻迄片時も休む間無皆労れて眠り出し
時々震動にて胆を冷し夜る明るを待申候天色蒙朧とし
て雲なくして星の光り見へすもの凄き事言語に述難し
東しらみなば鎮り可申と明るを待所に六時頃又壱度飯
高重十郎御小屋の壁落候物音にて驚き夜明震動少し遠
退き銘々御小屋へ引取候
一昌直御小屋は鴨居外れ壁落住居成難く多田暮橘の御小
屋へ同居して休む五時頃地震夫ゟ御小屋へ立帰り候処
両番頭東西御小屋見分有之終日鳴動して次第に強く夕
方ゟ石野広直御小屋前場広に候間同所へ竹の柱を建て
天井竹を渡し乗懸桐油を覆て戸板を敷四方明放し蟵(カヤ)を
釣休候此所は家倒るゝ共あやまちなしと心落付時に広
直とともに危き事度々なりしをいかにして木戸を破り
しや夢の心地して今日も其時の事おぼろけなりしと語
らいやう〳〵心落つきて 昌直
いく度か今はとのみぞ思ひにき夜昼となきなゆのさは
きに
と口すさみぬ今宵は多田石野の両人共に此所に休みぬ
夜中三度地震にて目覚たれ共震動いく度といふ数を知
らす
同四日
明六ツ時前村雨降出し三人共御小屋の内に入雨降りて気
散したれは鎮るへしと物語する内に六時頃地震一度雨止
み天色紅の如し心ならす思ふ処に早手風吹落て雨車軸を
流す五時過右御小屋へ立帰り今日番頭始め地震後無別条
趣江戸留守宅へ書状可差出との義に付書状認めいたす鳴
動不止四時ゟ七半時迄地震六度此時西組の御小屋追々崩
れ倒るゝよし今晩も野陣して一夜を明す鳴動止ず夜中地
震四度毎夜〳〵野陣して心安からす
(注、以下「 」内を、東京国立博物館〔京都大地震事〕
により補う)
「いつまてか限りハさらに白露の竹の枕に起明すらん
同五日快晴鳴動不止地震昼前三度余程強し八ツ前両度八
ツ過雲起り雷鳴早手風物凄シいかなる珍事やあらんと
人々心やすからす」此日非常の雲気起り候由土御門勘文
を奉捧火災騒乱の気さし地震の象難斗三日の内重き御慎
のよし奏聞有たる由承りけれる由承り(ママ)は
余所ならす聞毎〳〵に我人のこゝろ内も轟にけり
此夜は鳴動穏に雲晴て星の光り初て明らかに覚けれは多
田♠橘の御小屋へ同居して止宿
同六日
快晴鳴動不止昼の内少々宛地震数知れす今晩丑の刻強き
地震可有之由土御門ゟ奏聞有し由子の刻に至り強き地震
壱度其後明ケ方迄に地震有し由休みて不覚候
同七日
快晴明け六ツ時東南の風烈敷辰巳の方より出火すわや土
御門の勘文に違わす火災ありと大きに騒がしかりけるに
頓而鎮り鳴動も静也此度の破損にて両番頭七夕の礼無之
節句とは申なから物静にて四ツ時前七ツ時過地震強し此
頃内日々馴たるや騒く人もなし爰かしこ地震の為に破損
したれとも御殿はつゝかなく此頃野陳に引替金銀をちり
はめたる御殿造の内に宿直仕ことを悦ひ動きなき御代を
かしこみて
仮枕浪の立居はさわけとも
いわおのまつの動やはする
御用物入たる長持在此節非常の為とて勤番あり御殿番三
輪市十郎は組子召連御殿へ詰居て夜中廻り有御雨戸明け
放し風涼敷寅の刻斗りに地震一度あり心ならす立出て空
うち詠むれは星合の影も明け方近く覚へぬ
おもひゆる星の逢瀬はいかならん
こゝにも浪の立心地して
同八日
明け六ツ時東南の風吹て村雨ふり今日番頭御殿見廻り有
へしとて交代早く御小屋へ帰りぬ鳴動不止地震少々宛数
を知らす今日に至りて七日七夜をふれともいつ止へしと
もおほへず
一地震常の如くなりて心にも懸らす丑の刻斗りに壱度余
程強く地震有同刻過再ひゆり出し与頭始野陣の仮家へ
出る昌直も立出んと用意する内鎮りたれ共寝もやらす
寅の刻また地震壱度夜を明したり
同九日
鳴動鎮りたれは理りのことく七日七夜にて鎮るへしと言
たりしか昼夜頃より又々鳴動す
一御所御築地御内の御垣地震の度々破れ倒れ主上仙洞女
院宝后を奉始御庭へ御座を移し奉りしと承る諸司代禁
裏附の面々参内して此上は修学寺の御茶屋へ行幸有べ
しと御用意有し由承る土御門長管勘文を奉捧重き御情
の一七日御斎まします諸寺諸山へ御祈り厳重に勅命有
りしよし
一町々在々人家潰るゝ事数知れす洛中洛外怪我人千三百
人と書上け候よし
一洛中洛外神社仏閣破損有と云共未聞事なけれは爰に記
さす
大津伏見共地震同所大津は六日にも始の如く大地震に
て家潰たるよし同所日の岡峠は地面四五寸裂て泥水湧
出たるを相番荒川主斗旅行にて通り懸り眠前に見たる
よしを承る土御門勘文に騒乱火災有へしと奏聞に違わ
ず此節あやしき曲者出て洛中を乱妨に及候よし地震を
遁れんと老少男女広野に出て内にあらす町々の者は夜
に一ツ所に集居る事五六日其留守を伺ひて曲もの乱入
し火事よ地震よと呼りて家財道具を奪取跡方もなく逃
行とぞ京都の人柔和にしてたま〳〵見咎れ共心おくれ
出合事なく皆々乱妨せらるゝも有よし京都町奉行人数
を出し候得共いまた召捕候沙汰も無之此節夜中も切ら
す見廻り町人共同相柏子(ママ)木太鼓にて相廻り右の物音御
城内へも聞申候
同九日
天気震動止す亥の刻鞍馬口出火程なく鎮る同寅の刻に中
立売室町より出火
御所ゟ壱町半脇の方其騒動大方ならす諸司代出馬有之京
都は灰盡と成へしと心遣ひ致候処早速鎮火無事に相済む
同十日
震動不止朝昼両度始て以来の大地震にて皆々驚き申候夜
中度々
同十一日
天気震動不止昨夕ゟ繁々になりて朝四ツ時前両度八ツ時
前両度五ツ時壱度夜八ツ半時頃余程強き地震にて一統起
出る其後雨降り出し秋冷
同十二日
今朝六時出火早速鎮る暑気強く鳴動を聞く
右は今日迄の処書留差上申候
此節風説区々にて越中立山焼崩候共亦は丹波大江山共申
亦ハ若狭の国山崩れ泥の海に成候共申候先年浅間山焼候
節江戸は震動致し砂降候由地震の沙汰無之江戸へ四十里
余と申候此度右の国々京都に三十里内と申候道の遠近に
寄候哉砂は一向降り不申日々快晴にて折々村雨なと降申
候
七月十三日 昌直記