西暦、綱文、書名から同じものの一覧にリンクします。
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項目 |
内容 |
ID |
J0900621 |
西暦(綱文) (グレゴリオ暦) |
1707/10/28
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和暦 |
宝永四年十月四日 |
綱文 |
宝永四年十月四日(一七〇七・一〇・二八)〔東海以西至九州〕 |
書名 |
〔わが故郷の故事〕○高知県▽「須崎史談」
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本文 |
[未校訂] 串の浦の中ほどに、観音山という小さい森がある。頂上 に観音堂があって、その南側に小祠があるが、その由来に ついて、祖父母から度たび聞かされた。 宝永の大地震に津波が起こり、須崎は堀川から南の逃げ 遅れた人びとが、増水した堀川を渡れず、必死で助けを求 めていた。そこへ長谷川弥左衛門という大変力の強い人が 来て、その人たちを向う岸へ投げ渡してたくさんの人を助 けた。しかし、自分は力尽きて津波に呑まれ行方不明にな った。 その後、彼の着衣だけが串の浦の浜辺に打ち上げられ浦 人はそれを身代りにして、ここに祀り今もその徳を慕って いる。私たち悪童連もこの話を聞くと神妙に、また涙をに じませたものである。そしていつまでも私たちの心の中 に、長谷川弥左衛門は生きつづけている。
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出典 |
新収日本地震史料 第3巻 別巻 |
ページ |
523 |
備考 |
本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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都道府県 |
高知
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市区町村 |
須崎【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる
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版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)
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