[未校訂]地震や津浪のために郷、浦分で荒廃した場所は百三箇
所、半荒廃した場所三十六箇所に及び「山分崩、畑作雑
穀過分損失積り不知」と記されている。道路の損傷も甚
大で、翌五年(一七〇八)正月四日から山田橋と石淵の
間が復旧した。「比島より山田橋までは大部分繕ひ、塩
田橋の詰より比島の人家までの堤は新に築成して潮留
す」とも見え、これが宝永堤と呼ばれた。
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項目 | 内容 |
---|---|
ID | J0900600 |
西暦(綱文) (グレゴリオ暦) |
1707/10/28 |
和暦 | 宝永四年十月四日 |
綱文 | 宝永四年十月四日(一七〇七・一〇・二八)〔東海以西至九州〕 |
書名 | 〔高知県史〕▽ |
本文 |
[未校訂]地震や津浪のために郷、浦分で荒廃した場所は百三箇
所、半荒廃した場所三十六箇所に及び「山分崩、畑作雑 穀過分損失積り不知」と記されている。道路の損傷も甚 大で、翌五年(一七〇八)正月四日から山田橋と石淵の 間が復旧した。「比島より山田橋までは大部分繕ひ、塩 田橋の詰より比島の人家までの堤は新に築成して潮留 す」とも見え、これが宝永堤と呼ばれた。 |
出典 | 新収日本地震史料 第3巻 別巻 |
ページ | 512 |
備考 | 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。 |
都道府県 | 高知 |
市区町村 | 高知【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる |
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