[未校訂] 尚前記「港番久保野家に伝わる書」などを典拠として記
録した久保野繁馬の著『室戸港沿革史』によると、室津港
の深さは次の通り記録されている。
宝永ノ地震(一七〇七)前
満潮 港内 一丈四尺 港口 一丈二尺
干潮 〃 八尺五寸 〃 六尺五寸
宝暦九年(一七五九)
満潮 港内 八尺七寸 港口 六尺九寸
干潮 〃 三尺六寸 〃 二尺二寸
安永七年の「磯辺のもくず」には、室津の港の状況を
宝永四年丁亥の変に由り、港口に大石現われ、現在干
潮にも水深一尺を剰すのみにて、船舶出入の大支障と
なる。
(久保家文書)
宝永四亥年十月四日午ノ刻、晴天大地震所々山崩ル。大地
壱尺より下われ、水かきたのごとくりごり出ル。同未ノ刻
大潮入、室津・浮津の内、水尻・耳崎・多田助丞前ノ大道
越戸ヨリ潮入、家数弐拾三軒湊ノ内へ流レ入又奈良瀬家五
軒、元分家弐軒都合三拾軒流し、地下人耳崎浜にて弐人流
死。云々(○「りごり」は「にごり」か)