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項目 内容
ID J0900577
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1707/10/28
和暦 宝永四年十月四日
綱文 宝永四年十月四日(一七〇七・一〇・二八)〔東海以西至九州〕
書名 〔奈半利町史考〕○高知県安芸郡▽
本文
[未校訂]なお元禄十三年(一七〇〇年)の御国絵図によると、羽根
崎附近に大浦村(新田石高八十石)があったが、宝永四年
(一七〇七年)の大地震で津波のために人家が流れ、そこ
の人々は他に移転した。現に加領郷の谷の東方を、おうら
と云うのは大浦の名残りだろう。
桜花山善照寺(堅横町乙一六六七番地)
宝永四年(一七〇七年)十月四日、大地震の時、大潮の
ために寺院や町家が流失或は大破し、藩から来た使者の
宿舎がなかったので、自力で寺堂を修理し使者を宿泊さ
せた。
宝永四年(一七〇七年)十月四日の地震は、地震記録が
あってからの最大のもので、土地が上下左右にゆれ、翌
朝まで十回の大津波が寄せ、浜辺はもとより、堅横町、
西町に波が打ちよせ、大円寺を始め多くの家が流れ、潰
家も大分あった。
出典 新収日本地震史料 第3巻 別巻
ページ 496
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 高知
市区町村 奈半利【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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