[未校訂](津呂港)宝永四年(一七〇七年)十月四日の大地震に東
部海岸は一米位も隆起し、港底を掘下げている。
三津港の起工 三津にはもと自然の船溜りがあったよう
であるが、それを多田助之亟が享保三年(一七一八年)に
修築したことは、その差出によって明らかである。
差出
一椎名の鯨場は宝永四年の地震から次第に浅くなり、近年
は船の出入が至極不自由になって、鯨を突留め曳き寄せ
るにも波立ち、鯨を渚で切るにも難儀である。しかし三
津浦には船を引揚げる所もないので、網船は津呂港から
通っているが、岬で廻るので掛合にも都合わるく、羽差
や漁夫たちが迷惑している。だから三津浦に船入場をつ
くったなれば、永く網代として続かせてゆくことができ
る。只今は財政手詰まりの時御願い申は恐れ多いけれど
も、末々網代とするに困難だから右御願申すのでよろし
く御了けん下さいませ。
享保三年八月廿日
多田助之亟
御奉行所様
第一回改修 その後、三津港は浅くなったので延享元年
(一七四四年)津呂浮津両捕鯨組から、米五百石余出して
改修し、船の出入に便となり口銀(税金)も増すようにな
った。