[未校訂]西徳善八幡宮(香美郡)吉川村吉原字住吉畠
宝永四亥年大潮の時古文書等流失したことや、社領本田二
反三十二代を有していたことが神社記にある。
八幡宮(高岡郡)久礼町字松原
勧請年歴由来等未詳。当社は宝永四丁亥年地震暴潮の為、
社殿破壊し棟札の類流失し、往古のことは詳かでない、正
徳二辰年八幡宮由来記に嘉吉の頃建立とあり、又永正年中
再興、文禄の頃佐竹竹(弁カ)寿丸本願中城平次兵衛とあったとい
ふも、宝永の怒濤に流失して何等見るべきものはない然る
に神宝鰐口の名に
「敬白御実前土佐州庄内明徳三年壬申三月六日願主内蔵
助」
とあり、嘉吉の頃建立云々は再建であろうといふ。
新居神社(高岡郡)新居村字八幡林
古来より当村の産土神で、旧記棟札等宝永四年亥十月地震
の際、怒濤の為に流失したという。
宇佐八幡宮(高岡郡)宇佐町字卯沢
神社牒、八幡原八幡右勧請来歴不相知但宝永亥年大変旧記
流失也。
厳島神社(高岡郡)宇佐町宇佐字渭浜
古来福島村渭浜村両村の産土神である。宝永四年十月又嘉
永六年大地震の節波濤の為流失し、記録古器物のないのは
惜しいことである。
八王子神社(高岡郡)多ノ郷村神田字下川内
古来当村の産土神である。神社牒云、神田村上の在所入口
八王子(一云八王子大明神)右八王子宝永四年大変に流失
須崎高須磯辺に流れかゝり有之則如元安置其の節福生寺僧
宮再興。
八満宮(高岡郡)須崎町須崎字南古市西分
神社牒に依ると社領六十三石余を有し、津野時代には三十
四石二斗寄附あったことや、宝永四年の地震大潮の時神輿
流れ伊豆国下田へ漂着同地に奉納してあったが、種々交渉
の上迎え帰った事などが記してある。
八幡宮(高岡郡)興津村字馬場屋式
明応年中一条房家公幡多郡中村在府中崇敬あり、神鎮三十
枚、歌仙三十枚、陣刀二口奉納社領一町八反寄附の所、長
曾我部元親換地の節上り地となった。尚右宝物棟札等は、
宝永四年亥十月四日大震の時、怒濤の為流失したという。
広野神社(高岡郡)上ノ加江町字大田原
創建年代縁起沿革等、宝永四年十月大地震の時怒濤の為に
旧記流失して窺ふ由なしという。
丹生神社(高岡郡)宇佐町井尻字日和山
勧請年代由来等未詳。宝永四亥年大震の節旧記宝物等流
失。
宇佐町
白山神社(竜字旧寺山)(高岡郡)
旧記宝永四亥年十一月大震の節、波濤の為に流失したとい
う。鰐口銘
「文永五年戊辰五月廿七日妙楽寺賓殿藤原次郎兵衛」
郷社加茂神社(幡多郡)入野村東浜字松原
古来当地方の産土神で、応仁の頃藤原家基が再興したと社
記にある。当社は宝永四丁亥の地震に、社殿全部流れた
が、不思議にも再び元の所へ流れ還り、少しも損傷なく、
宝物等も流失しなかったという。
鹿島神社(幡多郡)清水町清水字鹿島山
古来より当村の産土神である。当社はもと海浜であった
が、宝永四年流失後山ノ内へ移し、六年地下人が建立した
ということが神社牒にある。
上灘村(幡多郡)
三影神社(大岐字宮ノ前)天三影命を祀る。先年大岐左京
之助建立之と其の棟札は宝永四年流失したと伝う。