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項目 内容
ID J0900552
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1707/10/28
和暦 宝永四年十月四日
綱文 宝永四年十月四日(一七〇七・一〇・二八)〔東海以西至九州〕
書名 〔土佐寺院誌〕▽
本文
[未校訂]徳法寺 岡豊村中島字灘ノ宮
宝永四年火災に罹り、寺宝旧記等を焼失したといふ。
西法寺 御畳瀬村字西法寺
宝永四亥年津浪のため旧記流失して、由緒は詳かでない。
善法寺 池川町土居
元高知材木町に在り、元禄十一年十月六日焼亡、同十二年
第四世日習の代、本寺要法寺第十一世日受これを高知新町
に遷し再興、宝永四年十月四日大変の節流失、第五世雅園
院の代同八年五月本寺要法寺第十三世日純又今の地に移し
て再興した。明治三十三年二月十日現在の地に移転した。
青龍寺 宇佐町龍一六三、一六四番
僧空海の開基で、七巨刹の一である。宝永四年、海嘯の厄
に逢ひ旧記悉く流失して由緒は詳かでない。
円教寺 須崎町字刈谷
延享二乙丑年七月二十二日創立、僧龍観の開基である。宝
永四丁亥十月津浪の為旧記流失して由緒は詳かでない。
正念寺 宇佐町字中町一、八〇二
長曾我部氏の臣山本磯之進なるもの大阪落城後僧となり当
寺を開創した。慶長十六年中興乗栄、寺号許可を得、正念
寺と号した。宝永四年激浪の為旧記流失して由緒は今に詳
かでない。
清宝寺 宿毛町宿毛
もと本郡坂ノ下村にあったが、慶長年間宿毛村池松屋布に
移転した。宝永四年激浪の為め旧記流失して、開基年暦未
詳である。
○右のほか宝永年次の棟札をもつ寺院は次の通り、すなわ
ち寺名、所在、棟札に現われた宝永年月を記すと
・観音堂、大杉村立川上名字千本 宝永七・九
・地蔵堂、大杉村尾生字忌 宝永七・九
・観音堂、大杉村津家字松葉 宝永六・十一
・観音堂、大杉村中村大王字イタバシ 宝永九年創立
・阿弥陀堂、東豊永村西峯字土居 宝永七年
・阿弥陀堂、東豊永村西峰字ウシロ 宝永五年
・大師堂、佐川町字阿弥陀堂 宝永七・閏八・一
出典 新収日本地震史料 第3巻 別巻
ページ 478
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 高知
市区町村

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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