[未校訂]尚康暦二年は大正十三年の今から五百四十五年昔で貞治二
年は夫より四十年昔であるが其間の康暦二年の地震を知ら
すに木岐の小坂茂平方に存する小坂元日堂の記録の中に
夫天不時制地有災。往昔貞治二年十月有津波之変。其後
慶長九甲辰年十二月十六日大地震津浪高二丈計云々。其
後又至宝永四丁亥年千月四日未時地震津波卒爾間海湧出
者丈余。蕩々穿陸反覆三次而止。向後遭時変者予慮海潮
之変。早可避其難而可矣
右海部郡鞆浦在碑文。略其事実。亦復到嘉永七甲寅年十
一月四日朝五ツ時大地震。翌五日夕七ツ半未曾有大地
震。幾回不知其数。可恐可慎焉。委曲如章云々。
と叙して其章中には
爰に貞治弐年大汐入と云々弐百四拾壱年ぶり慶長九年十
月四日津浪高サ十丈余入るといへり百壱年ぶり宝永四亥
年極月十二日四ツ時ニ津波入高サ弐丈五尺人家流れ人多
く死すと承り候処木岐浦ニ而ハ七人死すよし文化三寅年
にあたり右百年忌御郡代所ゟ被仰出浦々に百年忌の法事
可仕候様被仰付五月廿八日木岐浦ニ而ハ真福寺ニ而流水
灌頂真似ビ有之と云伝ふ云々
とある。
康暦の碑は板碑である。(正誤表)