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項目 内容
ID J0900515
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1707/10/28
和暦 宝永四年十月四日
綱文 宝永四年十月四日(一七〇七・一〇・二八)〔東海以西至九州〕
書名 〔三岐田町史〕○徳島県
本文
[未校訂]尚康暦二年は大正十三年の今から五百四十五年昔で貞治二
年は夫より四十年昔であるが其間の康暦二年の地震を知ら
すに木岐の小坂茂平方に存する小坂元日堂の記録の中に
夫天不時制地有災。往昔貞治二年十月有津波之変。其後
慶長九甲辰年十二月十六日大地震津浪高二丈計云々。其
後又至宝永四丁亥年千月四日未時地震津波卒爾間海湧出
者丈余。蕩々穿陸反覆三次而止。向後遭時変者予慮海潮
之変。早可避其難而可矣
右海部郡鞆浦在碑文。略其事実。亦復到嘉永七甲寅年十
一月四日朝五ツ時大地震。翌五日夕七ツ半未曾有大地
震。幾回不知其数。可恐可慎焉。委曲如章云々。
と叙して其章中には
爰に貞治弐年大汐入と云々弐百四拾壱年ぶり慶長九年十
月四日津浪高サ十丈余入るといへり百壱年ぶり宝永四亥
年極月十二日四ツ時ニ津波入高サ弐丈五尺人家流れ人多
く死すと承り候処木岐浦ニ而ハ七人死すよし文化三寅年
にあたり右百年忌御郡代所ゟ被仰出浦々に百年忌の法事
可仕候様被仰付五月廿八日木岐浦ニ而ハ真福寺ニ而流水
灌頂真似ビ有之と云伝ふ云々
とある。
康暦の碑は板碑である。(正誤表)
出典 新収日本地震史料 第3巻 別巻
ページ 410
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 徳島
市区町村 三岐田【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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