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項目 内容
ID J0900516
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1707/10/28
和暦 宝永四年十月四日
綱文 宝永四年十月四日(一七〇七・一〇・二八)〔東海以西至九州〕
書名 〔海南町史一〕○徳島県
本文
[未校訂](天保十一子正月海部郡取調廻在録)
 宝永四年丁亥之冬十月四日未時地震舌。海潮湧出丈余
蕩々震陵反覆三次而止。然我浦無一人之死者可謂幸矣。後
之遭大震者予慮大海潮之変而避焉則可。
(野村家文書)
一同年ニ十月四日之昼八ツ時弐百年来も伝にも無之大地し
ん平太郎十二才之時、西なべ高畠山へ薪ヲ取ニ参りかく
い片荷、しだ片荷拵さすにさし申時、右大なや足元にき
じなき諸方は土けむり立、十間より先ハみえ分ち不申さ
ぞさぞ驚入荷を捨、宿へ帰り申内、親人母をふとんによ
も四郎とも入をい、娘おしゆんおぎんを引連家西の溝田
迄来親人申様ハ先ほどの大じしんニ付大しを(潮)入申旨
ニて数人山へにげ申事に候
 我々も此通はやはや子どもの引連たるみ山へ参り候。
然し御証文物御検地御帳流申事ざんねんに存候と申ニ付
立帰り取参り可申候と申候へば母申様命ニかへ申様無之
まま仕候へと申、平太郎存候は少しの間にしを来り可申
様無之と存彼是申内ニ居宅へかけ来り家ニ入て見れば、
こわげ立候へ共ふみ込、大はさみ箱重く力に合不申如何
と存槌にて打割存知之書物を取、山へかけ参り山本にて
母と一所に着居床を拵火を出薪ヲ寄其外過分の人数山へ
登り心をしづめ居申内海面にうみ鉄砲と申物なりひかり
地震も小ゆりやみ不申、同五日の晩迄夜に五度、昼七度
ほどゆり、三日昼夜に泊り家々へ帰り候。母ぢ病痛み小
女郎谷と申所三休と申いしや居られ薬取に参りあたへ能
成候
出典 新収日本地震史料 第3巻 別巻
ページ 411
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 徳島
市区町村 海南【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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