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項目 内容
ID J0900346
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1707/10/28
和暦 宝永四年十月四日
綱文 宝永四年十月四日(一七〇七・一〇・二八)〔東海以西至九州〕
書名 〔熊野灘(尾鷲地方)漁村資料集〕○三重県▽
本文
[未校訂]「三重県郷土資料叢書九」
貴船神社
此の神社は元和元年五月、三木里の浜辺に創建されたが
寛永(ママ)四年襲来した津浪の為めに流失したので、享保七年九
月現在の地上岡の山林へ移祠した。
(中略)
当社に左の如き棟札がある。
奉納貴船大明神御遷宮棟札
一三木里浦御氏神往古より松原ニテ大木ノ神山ニ有之候
処、亥ノ高浪にて何で流失に付て御氏神御社をも被以(ママ)御
䰗付窺処御社ともに在之上岡ノ山林と䰗被為下直に上岡
ニ社替え仕候尤恵比須神ハ其儘本ノ社ニ指置候様にとは
くしを以下仰ニ付其通松原本社に被遊可御座候其時在中
太く流失に付田畑を屋敷といたし申候庄屋兵之助代ニ御
座候御氏神祭札霜月二日正月八日矢納十日両日ニ候枝郷
盛松三木浦小脇名柄ともに本郷三木里浦の氏子ともみな
みな参詣仕来候御遷宮之節は右在々より付届之嘉例祝儀
は別記有之候
一正月八日十日矢納之節も八日には三木浦白酒弓矢持参な
し御祭礼之仕儀に御座候右流失御社替ニ付如此御座候
三木里浦 庄屋 中村兵之助
同所 肝煎 長三郎
同所 肝煎 長五郎
寛保二壬戌九月吉日御遷宮
貴船大明神
右棟札宝納
三宝大明神 正八幡宮
宝暦十二壬午霜月十五日御遷宮
貴船大明神
右棟札宝納
天明二壬寅九月吉日御遷宮
貴船大明神
右棟札宝納(以下略)
(都司注)棟札に「亥年」とあるので「寛永」は「宝
永」の誤写と判定される。
梶賀神社
此の神社の創建は、南牟婁郡誌にも、寛永六年と載ってい
るが、同誌に同じく地蔵寺の開基を元禄五年三月としてい
る。思ふに神社の開創は寺院の開基よりも新しい筈は無
い。元禄五年から宝永六年迄には十七年の間隔がある。ゆ
えに斯うも考えられない事もない。元あった社殿は宝永四
年の津浪に流れてしまったので、六年に至って再び造営し
たのを、開創としたのではなかろうか。古老の話によると
元の社殿は一番下の段に奉祀してあったと云ふから津波に
流される可能性は充分にある。
出典 新収日本地震史料 第3巻 別巻
ページ 299
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 三重
市区町村 尾鷲【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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