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項目 内容
ID J0804023
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1766/03/08
和暦 明和三年一月二十八日
綱文 明和三年正月二十八日(一七六六・三・八)〔津軽・陸奥〕⇨翌年に及ぶ
書名 〔東津軽郡誌〕
本文
[未校訂]第二節 地震
△明和大震 明和の地震は津軽には記録有って以来の大
災害であった。殊に青森を中心の外ケ浜地方は最も強かっ
た。地震の書留は工藤家記、平山日記等に詳しい。今平山
日記から大略を抄出する。
明和三年正月廿八日、酉の時大地震、但し古来未聞の大
地震なり。此地震西北より夥しく鳴り来り、直くにゆり
出て、常の地震と違ひ、至って火急にて例へば馬の身ふ
るひの様にて家より逃出候間も無之候。外にて諸方見渡
候処所々の火事、天に満つ、夥しき事なり。其夜明方迄
凡三百二十度ゆり、然れども跡は段々弱く候処、亦二月
八日の日尤も夥しく、元来ゆり動き候家に候間、此の処
にも潰家其処此処に御座候(中略)此地震に付御領内左
之通り
潰死人 千二百二十一人 内十四人弘前 百九十二人青
森 千十五人在方
家数 五千九百二十一軒潰家焼家共、内四十八軒弘前
(焼家ナシ)六百四十四軒青森 内焼家五十軒余 五千
二百十八軒浦々並在方 内八十三軒焼家
鰺ヶ沢、深浦方面は潰家なく、蟹田、今別も潰家無き
由、今別辺大地震に候処其の近所母衣月村あんどんの灯
も動き不申ヨシ
青森及大浜は此の近在の分共大潰レ
板屋野木ハ大潰レ、此の近在半潰レ
飯詰ハ半潰レ、五所川原並此近辺潰レ家少々
とある。此の外黒石領に死人百六十二人、潰レ家四百二十
一軒とあって右黒石之分平内少々之潰家之ヨシと見え、同
地方は被害が少なかった。尚外ケ浜では
代官役所一ヶ所油川 平館並小国御用郷倉二ヶ所潰レ
小国鉱山銅屋一ケ所 右同砂森大工居所一ケ所 右同鉄
子目所一ヶ所
等の潰れた事が見えて居る。上磯方面も他に被害が多かっ
たと思はれる。尚当時外ヶ浜は海波穏やかで油を流した様
であったが振動後間もなく怒濤岸を超え凄惨の状を呈した
と伝えられている。
出典 新収日本地震史料 第3巻
ページ 696
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 青森
市区町村 青森【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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