[未校訂]この地方に起きた地震 まず天正の地震について「斐太風
土記」は『天正五年(一五七七)十一月二十九日夜四ツ半
時近畿・飛越ノ地大ニ震イ、白川帰雲山(飛驒)崩壊シテ
内島氏ノ城郭埋没シ一族五百余人圧死ス。東常堯マタ難ニ
遭ウテ死シ東家ノ正嫡全ク亡ブ』と述べている。この飛驒
方面での大地震にはこの地方でも相当の激震であったと推
察される。
西暦、綱文、書名から同じものの一覧にリンクします。
項目 | 内容 |
---|---|
ID | J0502425 |
西暦(綱文) (グレゴリオ暦) |
1586/01/18 |
和暦 | 天正十三年十一月二十九日 |
綱文 | 天正十三年十一月二十九日(一五八六・一・一八)〔畿内・東海・東山・北陸の諸道諸国〕⇒津浪も襲来・翌年十二月まで余震続く。 |
書名 | 〔蛭川村史〕○岐阜県 |
本文 |
[未校訂]この地方に起きた地震 まず天正の地震について「斐太風
土記」は『天正五年(一五七七)十一月二十九日夜四ツ半 時近畿・飛越ノ地大ニ震イ、白川帰雲山(飛驒)崩壊シテ 内島氏ノ城郭埋没シ一族五百余人圧死ス。東常堯マタ難ニ 遭ウテ死シ東家ノ正嫡全ク亡ブ』と述べている。この飛驒 方面での大地震にはこの地方でも相当の激震であったと推 察される。 |
出典 | 新収日本地震史料 第1巻 |
ページ | 157 |
備考 | 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。 |
都道府県 | 岐阜 |
市区町村 | 蛭川【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる |
版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)
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