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項目 内容
ID J0502424
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1586/01/18
和暦 天正十三年十一月二十九日
綱文 天正十三年十一月二十九日(一五八六・一・一八)〔畿内・東海・東山・北陸の諸道諸国〕⇒津浪も襲来・翌年十二月まで余震続く。
書名 〔清見村誌上〕○岐阜県
本文
[未校訂]帰雲城の埋没 大阪の貝塚願泉寺住職宇野道喜が書き残し
ている「貝塚御座所日記」に廿九日(天正十三年十一月)
夜四ツ半過ぎ大地震、十余日止まず、京都三十三間堂の六
百体の仏像すべて倒る。飛州の[帰雲|かえりくも]という在所、内ケ島と
いう奉公衆ある所なり、地震に山河多くせかれて内ケ島の
在所へ大洪水はせ入って、内ケ島の一類[地下人|ぢげびと]にいたる迄
残らず死にたるや、他国に行きたる四人残りて泣く泣く在
所へ帰りたる由、彼の在所はことごとく淵になりたる也。
また「三壼聞書」に
 飛驒国阿古白川と云在所三百余軒の所、地震にて高山崩
落、男女数百人一人も不残荒山となりぬ、此時帰雲山の城
郭大地震にて大山頽落ち圧埋め、内ケ島氏理一族主従、男
女、僕婢、城下の人馬に至るまで不残圧死して内ケ島断絶
せり。
とみえている。
 この大地震は中部、北陸、近畿にまたがるもので、白川
郷は特に被害が大きく、それは大阪にまでくわしく伝えら
れている。
 また前掲「三壼聞書」は加賀、能登、越中三ケ国の地震
を記録した金沢前田家所蔵本であるが、これに飛驒帰雲城
埋没事件を特筆していることもいかに衝撃が大きかったか
を物語っている。
出典 新収日本地震史料 第1巻
ページ 157
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 岐阜
市区町村 清見【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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