(注、既出の分は除く)
なお、宮崎竹助の『三災録』によると、阿波国海部郡鞆浦(現海部町)に立石という高さ一丈余の記念碑がある。慶長地震について、当時の状況を知るうえに、大きい参考資料である。
慶長九年辰年の十二月十六日、亥刻、常の如く月白く風寒し。行歩氷る時分。大海三度び鳴り、人々大いに驚ろき、手を拱ところ、逆浪頻に起る。その高さ十丈、来ること七度び。名づけて大潮と云ふ。剰之男女千尋の底に沈む者百余人。後代への言伝へのために。
海岸地形が南東向きの地に津波の被害が多かったことは、「暁印の置文」に書かれているとおりで、現代においても十分に考えておいてよいことであろう。