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項目 内容
ID J00007075
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1605/02/03
和暦 慶長九年十二月十六日
綱文 慶長九年十二月十六日(西暦 1605,2,3)
書名 〔宍喰町誌 上巻〕宍喰町教育委員会編S61・3・30 佐藤治海発行
本文
(注「新収」第二巻八〇頁下左8以下は次のようになっている)
宍喰浦里の荘屋政所 川野伊与市
当浦里、真言宗、十月五日、三日の法事、供養米寄付之帳。仕渡証文の事(大津波の翌年の法事のこと)
一、当浦の儀、先規より談義所といって、浦里の御結衆持の所である。このことは今まで中絶していたのを、この時、不断会(ふだんえ)を改めて、浦里六ケ寺が五日、三日の法事を七月に修行するようしてきたが、昨年の大変事が、殊の外流死人が多く出たので、浦里一統相談の上今年から、十月に取りきめ、前の習慣の通り、五日、三日の法事を行なうよう、諸宗派の方々にも伝え、先祖の霊の回向(えこう)をすることになった。
そこで、今後御法事の供養米、浦里として米二石、その年々の順番の寺へお渡しするよう、相談の上定り書物(かきもの)に捺印(なついん)して、浦里六カ寺へ御渡しした。結果仲間でよく相談して、各年々の順番をあらかじめ定めておき、その年の当寺より、他の方々へ御案内していただければ、右寄付の米、早速お渡しする。
宍喰浦里政所 川野伊与市 印形
慶長十年(一六〇五)巳正月七日
宍喰村久保 多田太郎左衛門 印形
宍喰村日比原肝煮(きもいり)左五兵衛 印形
宍喰村大崎 同 甚左衛門  印形
宍喰村馳馬 同 与五左衛門 印形
宍喰村大野 同 忠兵衛   印形
宍喰村影畠村 同 実左衛門 印形
宍喰村広岡 同 権右衛門  印形
宍喰村落合 同 三五郎   印形
宍喰村小谷 同 彦太郎   印形
宍喰村角坂 同 与次右衛門 印形
宍喰村塩深 同 孫太郎   印形
宍喰村船津 同 彦十郎   印形
宍喰村久尾 源作      印形
右の通りに、今年より定め、浦里六カ寺、御結衆中へお渡ししておき、その年の御当番の寺より、御案内次第、米をお渡しすることとする。
慶長十年(一六〇五)巳正月七日
宍喰浦里真言結衆六カ寺
大日寺 隠居 宥伝様
正福寺 宥厳様
真福寺 宥真様
西光寺 良雄様
成福寺 宥応様
円頓寺 宥慶様
慶長十年(一六〇五)十月より、浦里真言結衆、法界万霊有無両縁の回向(えこう)のため、五日、三日の法事先例を以て、お勤めするので、各御相談の上、供養米二石宛、年々各より御寄付下さる旨、御連判で書物をして、六カ寺衆中へ己(み)正月七日に御渡しいたし、たしかに見届けたので、六カ寺結衆請持(うけもち)書をもって承知致した。
慶長十年(一六〇五)正月七日
真言宗一カ寺 大日寺 隠居 宥伝、書判
真言宗一カ寺 正福寺 宥厳 書判
真言宗一カ寺 真福寺 宥真 書判
真言宗一カ寺 西光寺 良雄 書判
真言宗一カ寺 成福寺 宥応 書判
真言宗一カ寺 円頓寺 宥慶 書判
宍喰浦里惣荘屋政所 川野伊与市殿
宍喰村在々、肝煎(きもいり)人 衆中
元文四己未年之春駅路山円頓寺開山
住持宥慶之旧記等円頓之二階
之上鼠ノ巣ノ中より取出シ候其時之拝見
之僧円頓寺住持嘉明真福寺住持大雲
旧記之本紙は円頓寺に有之候旧
記本紙之通無相違写取者也
于時元文四己未年
三月十四日 真福寺 大雲
先住宥慶之旧記本紙之通真福寺
大雲書写申所無相違者也
元文四己未年三月十四日
円頓寺住持嘉明
出典 [古代・中世] 地震・噴火史料データベース
ページ
備考 [古代・中世] 地震・噴火史料データベースでは史料等級で分類しています。本データベースでは史料等級の低いものも表示しており、信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 徳島
市区町村 宍喰【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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