房総治乱記抄
(一) 慶長の大津波『慶長六年十二月十六日大地震山崩れ海埋て岳となる。この時安房上総下総の海上俄に汐引いて、三十余町干潟となること二日一夜、つづいて十七日子ノ刻沖の方大いに鳴動して汐大山の如く巻上り、浪は山の七分に打かかる。早く逃ぐる者は遁れ、遅く逃ぐる者は死たり。この汐災に逢いしは辺原、部居浜、小湊、内浦、名太、江見、和田、御宿、岩和田、岩舟、和泉、東浪見、一宮、一松、牛込、反金、不動堂など四十五ヵ所なり』。
〔九十九里町誌各論編 上〕、○千葉県、
「沖合すさまじく鳴動するうちに津波がおこり、小山の中腹にまで押寄せた。このため、安房・上総・下総の海岸四十五ヶ所の漁家、民家は悉く押し流され、人畜の溺死するもの数を知らず。また、山崩れによって海が埋められて山となったところもあるという。(関八州古戦録)」