西黒部意非多神社由緒記 人皇七十三代白河天皇御宇永保二年みづのえいぬ七月十日、終日伊勢の地大いに震い、同十三日甚しき風雨あり、ために櫛田川西岸の堤塘大いに欠壊し、河水はんらんして田畑六百余町(六百、ヘク、タール、)をつぶし神社十二宇を流す、意非多神社誌には櫛田川流域ヲ変ジ云々、(「黒部史」西山伝左衛門編)、
漕代郷士史 人皇七十三代白河天皇御宇永保二年壬戌七月十日中伊勢の地大に震ひ、同月十三日早朝より大に風雨、祓川流を変し、櫛田川へ流れ入り、田地六百余町を破壊し、社祠十二宇を流す、(神麻績神部脇田氏所蔵の古記)、
〔黒部史〕○三重県
亦意非多神社記録に「人皇第七十三代白河天皇御宇永保二壬戌年(神武天皇即位紀元一千七百四十二年)七月伊勢地大ニ震ひ同十三日大風雨ニ至ル、此日櫛田川ノ流域ヲ変ジ田畑六百町神社十二社ヲ流失ス」とあり。