大櫛神社(延喜式)
大櫛ノ社(同書斎宮武)
櫛田橋、国道櫛田村大字豊原と漕代村大字早馬瀬との間なる、櫛田川に架せり。長さ四百八十尺幅十五尺あり。、
(中略)
神麻績神部脇田氏所蔵の古記に、人皇七十三代白河天皇ノ御宇、永保二年壬戌歳七月十日、中伊勢の地、大に震ひ同月十三日、早朝より、大に風雨、祓川、流を変じ、櫛田川へ流れ入り、田地、六百余町を破壊し、社祠、十二字を流失すと見え、元和年間在世の、渭代郷法田村住人鈴木聖園の筆記に、法田村は、神山の下にて御座侯へども、居所は、東のはてにて御座候。先年は、川東の川許にて、西は、河無之候と記せり。古今河流の変遷する、実に驚くに堪へたり。