されば天災にしては免れざる所なり。且これは人馬合て怪我とも三千九百八十八。『四戦記』の所載を見るに、天正三年五月廿一日長篠の条に、今日卯の刻に軍始り、未の下刻に終る。徳川、織田両家の兵、首を獲ること一万余級なりと。又『武家事記』の所載は、元和元年五月七日、大阪夏御陣の首帳、諸手分(ブン)、合て一万三千六百八十六、御旗本分(ン)、二百九十二、〔二口〕合て一万三千九百七十八級〔但し両記の文、馬の死亡、人の手負は載せず〕。これは人事なり。されども天災に過ること、一は六千十二、一は九千九百九十也。この一場の死亡は天にも勝れり。惧(おそ)るべし、戒むべし。