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項目 内容
ID S00001830
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1855/11/11
和暦 安政二年十月二日
綱文 一八五五年安政江戸地震(安政二年十月二日)
書名 〔江戸開帳諸用留〕『成田山新勝寺史料集 第五巻』
本文
[未校訂](表紙)
「開帳諸用留
辰正月ヨリ   中路  」
(安政三年)
正月十五日
一村役人并四ケ町世話人相招、御出立日限并供廻り開帳場詰合之義及相談候事
茶飯平猪口膳部飯之上ニ而二ツ者ニて酒差出候
(中略)
二月四日
一新宿中川屋庄七罷越、昨年中地震ニ而宿内及大破候ニ付、 本尊様御宿并本陣共宝蓮寺江致し候趣申出
(中略)
九日
船橋宿不動院入院披露旁開帳ニ付先前之通 本尊様御宿致し度段願出ル

十一日
                    千住宿 勝専寺
                           世話人
    鰹節屋下川小左衛門
右之者罷越先例之通 本尊様御宿申出、外ニ本陣之義、是迄下川八郎兵衛方ニ而相勤候得共、去年中地震ニ而及大破候ニ付、此度者千住壱丁目鞍屋長右衛門方ニ而本陣致候趣申出、右同寺世話人連名書持参、左之通
壱丁目
伊勢屋甚兵衛 下野屋忠蔵 鰹節屋小左衛門
下川八郎兵衛
 弐丁目
高瀬奥右衛門 永野彦右衛門 大津屋仁三郎
三丁目   四丁目
秋葉簾次郎 織畑平左衛門  松本重兵衛
松本差物店 
一伊篠村名主方江以使僧小風呂敷壱ツ差遣
道普請橋普請等頼遣ス
一元丸参三講中参詣ニ罷出、先例之通御䦰場持切世話致し度願出ル
(後略)


註:成田山新勝寺は、地震翌年の安政三年に江戸・深川永代寺八幡宮社地で出開帳を行った。本史料は、安政三年一月十五日から三月十八日までの御開帳に関する諸用留で、成田から深川までの行程が記されている。新宿(東京都葛飾区)や千住宿(東京都足立区・荒川区)は前年の地震の被害のため本尊の宿や本陣の変更を願い出ているが、船橋宿では先例の通り本尊の宿を願い出ていて、地震による影響がないことがわかる。
出典 都市の脆弱性が引き起こす激甚災害の軽減化プロジェクト【史資料データベース】
ページ
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 千葉
市区町村 成田【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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