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項目 内容
ID S00001485
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1703/12/31
和暦 元禄十六年十一月二十三日
綱文 元禄十六年十一月二十三日
書名 〔増訂武江年表巻之三〕
本文
十一月二十二日、宵より電強く、夜八時地鳴る事雷の如し、大地震、戸障子たふれ、家は小船の大浪に動くか如く、地二、三寸より、所によりて五、六尺程割れ、砂をもミ上、あるひハ水を吹出したる所もあり、石垣壊れ、家蔵潰れ、穴蔵揺あげ、死人夥しく、泣さけぶ声、街に囂し、又所々毀たる家より失火あり、八時過津波ありて、房総人馬多く死す、内川一はい差引四度あり、此度より数度地震あり、相州小田原は分て夥しく、死亡の者凡二千三百人、小田原より品川迄壱万五千人、房州十万人、江戸三万七千余人、、内廿九日火災の時、両国橋にて死、るもの、千七百三十九人といへり、、なりし由、ものに誌り、此時深川三十三間堂覆る、廿四日夜より雨ふり、明方に及てゆり止む、其後十二月まて震ふ事しば/\なり、
国つ神、千代の岩をもゆりすえて、うこかぬ御代のためしにそ引、   中院通茂卿
十一月廿九日、夜、大風、本郷追分より出火して谷中まて焼、又小石川より出火して北風に成、上野、湯しま天神、聖堂、筋違橋、向柳原、浅草茅町、南ハ神田より伝馬町、小舟町、堀留、小綱町、本所へ飛、回向院の辺、深川永代橋まて、両国橋、西の方、半分、、焼落、明る五時鎮る、是を世に地震火事といふ、○回向院、一言観音像山門に安置しけるか、十一月霊夢の告ありて楼上よりおろす、廿二日夜地震の時山門北へ倒れ、つゞひて廿九日の大火に諸堂焼たり、
(中略)
二月廿七日、地震、四月まて度々震ふ
出典 都市の脆弱性が引き起こす激甚災害の軽減化プロジェクト【史資料データベース】
ページ
備考
都道府県 東京
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