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項目 内容
ID S00001477
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1703/12/31
和暦 元禄十六年十一月二十三日
綱文 元禄十六年十一月二十三日
書名 〔対馬藩 毎日記(国元)〕
本文
(元禄十七甲申年 御留守毎日記)
四月八日 晴天
(中略)
御中屋敷番高津宇太右衛門へ右之段遂吟味候処、川船御年貢之儀、毎年九月 十一月迄ニ上納仕来候、去年ハ地震并御類焼ニ取紛、致失念、爾今上納不仕候由申候付、弥明日御年貢例之通致持参、右之段御改をも申上候而、上納仕候様ニ申渡

(宝永元甲申年 御在国中毎日記)
十一月二日 晴天
(中略)
御前様江毎歳御時服代五拾枚ツヽ被進候筈ニ候処、去年御類焼・地震ニ御取紛、爾今不被進候、先頃御国元江奉伺候処、弥右之通被進と之御事ニ付、去年・当年両年分之御時服代、今日勘定島雄菅右衛門致持参、差上候様ニと申付、則持参差上
(後略) 注、本史料「毎日記」は、対馬藩の藩政日記である。東京大学史料編纂所の資料解題によると、宗家史料は対馬藩江戸藩邸にあった文書群の一部で、史料のほとんどが冊子仕立の藩政日記・記録類であり、江戸藩邸でつけられていた『毎日記』と国元表書札方の『毎日記』が最も多い。
出典 都市の脆弱性が引き起こす激甚災害の軽減化プロジェクト【史資料データベース】
ページ
備考
都道府県 長崎
市区町村 対馬【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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