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項目 内容
ID S00001397
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1703/12/31
和暦 元禄十六年十一月二十三日
綱文 元禄十六年十一月二十三日
書名 〔佐倉古今真佐子〕
本文
根曲輪辺より七曲、天神曲輪の趣
扠天守下水堀のはたを東の方へ行は畠有る所へ出る。左の方やふ木立なり。あかす門二階門にて有之。是は篭城の節の落口也。かわらぶき、しやちほこ付、一切不明〆切、番人なし。先年の大ちしんの節此門のしんきねちれたる、直て不直さる也。此門のそと河にてあしまこもの類一めんにはへ大竹大木うへごみし故、通りより一切門不見。江戸口へ出る道の方也。
(中略)
土煙、大風、ちしん、野火事是等の趣
此国しきともに風ある。強時には土をそらへふきあけ、日のひかりをうばい、赤かぐろく東西南北一めんにそらは成りて一日一夜も過てはれる也。一ケ年には度々の事也。八月頃はきはめて大風二雨ほとふく。辰巳風にて終日ふく、その時には破損をゝし。塩風故作ものうでたる様に成てそれより用不立様に成りてすたる也。日光水きわめて二三日過て出る。川筋地びくの所へは水付也。ちしんは一ケ月に三四度つゝある。夜昼にある也。ゆる時には内には居かたきゆへ、そとへ出る位にゆる也。大ちしん前所替のみぎりにあたるよし、十一月廿三日の夜八つ時よりゆり出しこんぜつに不及ちしんのよし、夜明迄に以上七十五度ひゆりしよし也。十二月末迄夜昼たへずゆりたるよし承る、十二月末に相止む、それより後ぢしんのゆる節きし一切不合也。其後所替の□□にてもきじあはせ出す也。又野火と云は、原のやける火事也。殊外すさまじきもの也。一日一夜もやくる事也。大火にてその方空一めんに煙にて日のひかりをうばう、夜分大分あかし。 注、『日本庶民生活史料集成』の解説によると、本史料の作者は淀藩主稲葉氏の世臣・渡辺善右衛門守業で、元禄十四年に江戸に生まれた。「佐倉古今真佐子」の作成年代は判然としないが、これと一対となる「淀古今真佐子」は、宝暦三年(一七五三)から渡辺が死去する宝暦十二年までの数年間に作成されたとする。本文中の「大ちしん前所替のみぎり」とは、稲葉氏が佐倉へ入封した元禄十四年のことを指すと思われるので、渡辺善右衛門の後年の聞き書きではあるが、元禄十六年の地震記事をここに収載した。
出典 都市の脆弱性が引き起こす激甚災害の軽減化プロジェクト【史資料データベース】
ページ
備考
都道府県 千葉
市区町村 佐倉【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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