Logo地震史料集テキストデータベース

西暦、綱文、書名から同じものの一覧にリンクします。

前IDの記事 次IDの記事

項目 内容
ID S00000975
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1853/03/11
和暦 嘉永六年二月二日
綱文 嘉永六年二月二日(西暦一八五三、三、一一)
書名 〔小田原藩士星見某書翰〕
本文
[未校訂]小田原地震之模様、
一当月二日四ッ時頃之地震、御天守極大破、御屋形大破損、本丸、二ノ丸、三ノ丸、塀不残御堀水中に落申候、石垣も余程水中に落申候、三階之渡り櫓、大手渡り櫓等、不残潰れ申候。
一酒勾川橋、前川橋等落、往来通路無之、二子山より大石等往還江落出、七日之間往来無之、箱根宿、畑宿、并温泉場何れも大破、箱根御関所、矢倉沢御関所等、月に二日の交代に候処、是以御番所交代も不相成、十五日目に而交代いたし申候事に而候。
一御家中内も、御城より北之方極大破に而、潰れ家も多く、乍然人死者御家中に者無之、御城より南之方は破損少しに而、乍然小田原宿元等者、間口五十間之大石垣、不残往来になげ出し、居宅も破損、壁も余程ふるひ、家も曲り、新規立同様に不致候而者不相成、乍然門は破損無之候、殊に拙者の部屋抔大破損、泉水之方に曲り、壁もふるひ、拙者事、度々小田原へ出候而も、部屋普請無之内は困候事に而候、兄作太夫等は、屋敷内稲荷社之前に幕打、十五日之内野陣に而居住いたし申候、小田原宿元は、破損無之分也。
一御家中、町家在共に、皆野陣に而、御家中高禄は幕打、又小身之ものはむしろ渋紙等に而、四方かこひ、当分居住、町在共に何れも戸板抔、或はむしろ等に而、塞さを凌ぎ居候様子に候、小田原総氏神松原大明神等、本社のみのこり、拝殿其余皆総潰れ.是も御上普請、いつ出来候やも難計事小田原町中、みな居住のもの無之、何れも浜に出、或は野陣こも張之内に入候事故、たまヽ近辺歩行之人も、めし酒も無之、困と申事に而候、町家も小田原城下十九町之内竹ノ花町、須藤町、大工町は町家総潰れに而、立家一軒も無之、又町中土蔵等者、御城より北之方は、多分総潰れに而、町中無事之土蔵者、一つも無之候。
一近在も関本村、塚原村辺、人死多く、道了権現等大破、近在村々矢倉沢迄之内、潰家千八百八軒之、御上届けに而候。
一近辺寺院も格別之破損に而、都而墓所等は何れ之寺院も墓総倒れ、誠に珍敷事に而候、小田原元禄之大地震も、是程に家中迄之潰家無之、乍然元禄之度は、御天守より出火に而、御本丸、其外焼失と申候、天朋之大地震も此半分にも無之と申候、此度之地震に付、町方三ケ所出火に候得共、早々けし留め、火災は無之相済申候、任幸便見分あらましを申進候。
出典 都市の脆弱性が引き起こす激甚災害の軽減化プロジェクト【史資料データベース】
ページ
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 神奈川
市区町村 小田原【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

検索時間: 0.001秒