尚々六月・七月之内、此後も是非/\気分指発候而万事之心得肝要候、若州〓人をもめたち不申様ニよひおき候て、しゼん不慮之はたらきも出来候ハヽ、取つめ申様ニ相心得可申候、番之者又付候而、あがき申候者ことの出来不申様ニ、又ゆるやかにもこれなき様ニ可申付候、委ハ二、三日之内五郎兵へ可申付候 以上、
去十四日内十五日通飛脚之書状相届具披見申候、¥備後之事上京仕候由、何共/\可申様もこれなく候、いつも七月ハ、気色必々指発候、去年も七月廿七日、小浜罷出候、去々年も七月之内京都江忍ひて罷出候、如何様之事か出来可申と気遣申候、就其番士以下かたく可申付、あなたへかまい不申様ニ心得肝要候、内々都筑五郎兵へ今明日中指のほセ可申と、はやく申付候へとも、昨廿日之夜九ツ時分、殊之外大キ成地しんゆり申付而、万事取紛延引申候、二、三日中相のほセ可申候、屋敷中も殊之外はそん出来候へとも、別義ハなく候、只今の時分ニ而、伊左衛門もよひ候て、其方事も其元様子見合てかわる事なく候者かわりて可参候、とかくしゆらくニべん/\と罷有事ならぬ事ニて候、三井寺さゝのかいたし不罷成候ハヽ、あふミの内かたゝ辺へまつ/\当座相うつり、其内木戸むら小松辺ニて似合敷居住之所をも見たて候様ニ、内々其心得可有候、委ハ五郎兵へ江可申越候、坂本の事ハ、当座居住見立申候内ハ可然候、以来まて罷有事ハ如何と存候、京ニ罷有候〓ハ、まつ/\坂本へ成とも可相越候、周防殿、十八日ニ必々帰可被申候、周防殿へ能々可申談候、恐々
六月廿一日讃岐御判
芝二郎左衛門殿
まいる