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項目 内容
ID S00000116
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1782/08/23
和暦 天明二年七月十五日
綱文 一七八二年天明小田原地震(天明二年七月十四日)
書名 「小田原大秘録」「江戸幕府日記」
本文
[未校訂]時に天明二年七月十四日丑の刻、大きなる地震にして、既に十五日五つ時前ゆり返しあり、所により前夜よりもつよし、夫より人気立てつなみ来らんとひしめき、数町をはしめ、荷物を背おひ童爺婆なんと念仏まじり、伝肇山あたこ山をさして押合声。 屋敷御長屋にかけて潰家廿七軒、大破損小破損八百軒余、別て竹花より揚土筋弁才天曲輪三ノ丸掛て甚敷ゆれ、あのあたり道すし東西にゆれて蔦の千筋の如く土をくたき候、新馬場より新宿西海子和らかに又山角町つよし、竹花より大工町あたり迄まんぞくなる家一軒もこれなく、町中の蔵々七分通りやくに立す、一体富士の辺り凄しく矢倉沢道筋すし往来成り難く、須走村中に家居を土に埋め候もこれありよし 一月廿三日        大久保加賀守
(名代)大久保中務少輔
右領分去年七月地震にて城内櫓門塀石垣など破損、ならびに家中町在共家作など大破に及び、田畑地破往還道堤など損じ候ところ、手当難渋につき拝借の儀相願われ候、これにより金五千両拝借仰せ付けらる旨、芙蓉の間に於いて、老中列座主殿頭これを申し渡す
出典 都市の脆弱性が引き起こす激甚災害の軽減化プロジェクト【史資料データベース】
ページ
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 神奈川
市区町村 小田原【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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