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項目 内容
ID S00000115
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1782/08/23
和暦 天明二年七月十五日
綱文 一七八二年天明小田原地震(天明二年七月十四日)
書名 〔小田原大秘録〕
本文
[未校訂]時に天明二年七月十四日丑の刻大きなる地震して既に十五日五ツ時前ゆり返しあり所により前夜〓もつよし夫〓人気立てつなみ来らんとひしめき数町をはしめ荷物を背おひ童爺婆なんと念仏まじり伝肇寺山あたこ山をさして押合声頃しも月のしめやかゆへふつさふ沙汰無之とも専一とて夜廻リ二三被仰付兎角心落付す取沙汰とり/\にて一家中はしめ庭の松陰又ハ畑中なとに竹の柱にこもかこひに折柄の灯篭をさけ〓屋をたれ五夜六夜露にさらされ扠十七日夜九ツ頃雨少しおとづれ又明方〓降り来り夜着の袖をしほりたる事にて十八日ハ夕方〓雨強く暮て〓明る迄はけしき風雨なり夫〓世上少し治るといへとも日数十日程の内昼夜に六七度ツゝ残りの地震ゆり返し候第一御天守もゆかみ御矢倉とも何も破損御城米御蔵土を振ひ御屋形の壁不残ひゝけ天水桶大かた取てなけ出し裏御門瓦ふりちらしねり塀こなみぢんかしこの塀水にうかみ御番所とも大破損御家中盈石氏居間ふと残り屋敷/\御長屋にかけて潰家廿七軒大破損小破損八百軒余別て竹花〓揚土筋弁才天曲輪三ノ丸掛て甚敷ゆれあのあたり道すし東西にゆれて蔦の千筋の如く土をくたき候新馬場〓新宿西海子和らかに又山角町つよし竹花〓大工町あたり迄まんぞくなる家一軒も無之町中の蔵々七分通りやくに立す一体富士の辺り冷しく矢倉沢道筋すし往来成難く須走村中にハ家居を土に埋メ候も有之よし然るに大久保又右衛門ハ鑓の名人程あつて如斯大地震といへとも少しも動せす既に十四日丑の刻とし火消て庭に出んと来り煙草盆につまつき次の間〓裏手の庭へ飛ひ下りけるハ不敵にも又勇々しけれ夫〓人気静リ世間静謐に治りけれは民百姓ハ農作をなし崩れ土手を営み町人ハ土蔵を直し武ハ太平に乱を忘れすの習ひにて堀矢倉の損したるを造営す第一御天守もゆかみけれは御普請被仰付ける夫其昔元禄の頃大工棟梁溝口匠か高弟川辺変工斎工夫を以御天守御造営あらは此度の可美憂有時の弁説即金の隔あつて変工斎口を閉て退出し必す及末世後悔あらん我又其功子孫に譲り残さんと思へは面目ハ子孫にありとゆつるかはたして此度九尺余りもひつみけるを其子孫川部近太夫是を造営し猶又後の憂ひを凌きけるとそ此時分左官棟梁に本山新作といふ者ありけるかいかゝしたりけん御櫓の上家根〓真逆様に落たりける故是を見る人大きに驚き馳付見るに流石ハ横田か秘蔵の弟子程あつてあしろにつかまりひつくり返つて落けれハ何事なく芝の上にそ落たりける時に新作頭をあげて狂歌しける
落るとハ簡にも我ハ白壁の
凡夫左官に壁たゝるなり
此狂歌を聞人見る人大きに驚き感しける是〓新作手足震ひて一生難義致しけるか文政九年夏七十有余にて病死せり
辞世に
涼しいそけふかたひらの死出の旅
と詠しけるを感せぬ者ハなかりける誠に人の正に死せんとする時ハ其いふ事やよしといへるかことし
出典 都市の脆弱性が引き起こす激甚災害の軽減化プロジェクト【史資料データベース】
ページ
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 神奈川
市区町村 小田原【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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