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項目 内容
ID J3300349
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1855/11/11
和暦 安政二年十月二日
綱文 安政二年十月二日(一八五五・一一・一一)〔江戸及近郊〕
書名 〔指田家日記下巻〕○武蔵村山市中央(旧多摩郡中藤村)武蔵村山市民俗資料館篇H18・3・31 武蔵村山市教育委員会発行
本文
[未校訂]二日 夜四ツ時大地震倉庫破裂す 明け方まで七八度に
及ぶ 江戸所々焼け 吉原近辺別して大地震火事
存命の者十にして二、三に過ぎず 江戸中にて二
十万余の死人と沙汰あり
三日 今朝も地震 昨夜十王堂の石碑十にして九ツ倒る
予が家の碑一つも倒れず
六日 二日の大地震の後 昼夜三四度ずつ動かす 江川
様御役所に人夫 茂左衞門組より五人出す
七日 夜五ツ頃に余程の地震
出典 日本の歴史地震資料拾遺 5ノ下
ページ 1415
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 東京
市区町村 武蔵村山【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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