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項目 内容
ID J3300348
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1855/11/11
和暦 安政二年十月二日
綱文 安政二年十月二日(一八五五・一一・一一)〔江戸及近郊〕
書名 〔下町文化No.234〕二〇〇六・七・一〇江東区教育委員会生涯学習課発行
本文
[未校訂]区外史料調査報告
安政の大地震と羅漢寺復興計画
(前略)
 さて、昨年8月に史料調査に訪れた[柳川|やながわ]古文書館で先
の質問に応えられそうな史料を見つけました。大島ブー
ムをさらに盛り上げるべく、タイトルに掲げたテーマで
お話ししたいと思います。
A阿部伊勢守殿御渡候
御書付寫壱通、相違候
之間、被得其意無遅滞
順達、従届堀伊豆守方江
可被相返候、以上、
十月朔日 大目付
細川越中守殿
藤堂和泉守殿
松平内蔵頭殿
宗対馬守殿
津軽越中守殿
松平土佐守殿
此方様
佐竹右京大夫殿
松平大蔵(膳カ)大輔殿
右留守居
B 大目付江
本所 羅漢寺
武蔵
上総
下総
美濃
信濃
越後
右、諸堂舎其外地震
ニ而相潰候付、再建為助
成右六ヶ国勧化御免、
寺社奉行連印之勧化
状持参、役僧・役人共当
辰十月より来ル申九月
迄御料・私領・寺社領
・在町共可致巡行候間、
信仰之輩者物之多少ニ
よらす可致寄進旨、御料者
御代官、私領者領主・地頭
より可被申渡候、
辰九月
右之通可被相触候
 これは2通の文書を一紙に書き写したものです。Aは
大目付から大名家[留守居役|るすいやく]への廻状、Bは「阿部伊勢守
殿」から大目付への書付です。このように藩では幕府か
らの公文書を複写しておきました。
 まずAの内容ですが、阿部伊勢守から出された書付の
写しに訂正があるので、その旨を確認し、滞りなく回覧
して、最後は堀伊豆守へ返すように、とあります。末尾
に記された大名の留守居に通達されました。そして訂正
済の阿部伊勢守の書付がBなのでしょう。
(中略)
『武江年表』に羅漢寺が倒壊した記事が載っています。
五ツ目五百羅漢寺本堂大破、左右の羅漢堂并びに天王
殿(布袋、四天王、関羽を安ず)潰れ、三匝堂(さゞ
え堂といふ)大破に及べり、
 この地震で本堂や羅漢さんが祀られている東西の羅漢
堂、そして羅漢寺のシンボルともいえるさざえ堂も潰れ
てしまったことがわかります。(後略)
(文化財専門員 赤澤春彦)
出典 日本の歴史地震資料拾遺 5ノ下
ページ 1413
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 東京
市区町村 江東【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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