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項目 内容
ID J3300308
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/12/23
和暦 嘉永七年十一月四日
綱文 安政元年十一月四日・五日・七日(一八五四・一二・二三、二四、二六)〔関東~九州〕
書名 〔矢津田吉次家文書〕○高千穂町五ヶ所旧宮崎県史編さん室収集文書
本文
[未校訂]「嘉(表紙)永七甲寅年
諸御用村用
日記
□(正カ)月吉日 五ヶ所村

一、十一月四日ゟ九日迄地震中ニも五日夕七ッ時并七日朝
四ッ頃大地震いたし候得共五ヶ所村之儀所々草端共ハ
ゆり割候所も有之候得共人馬怪我或ハ伏屋等無之尤家
之儀ハ少々損し候家も稀ニハ有之候得共為差事無之
右之振合ニ付其段御役所ヘ則別紙之通書上九日付ニ而十日
差出ス
廻状
郡方江
近来不融通之中当秋違作且此筋之地震ニ付別而不通用ニ付
下モ方為救之郡方役所江為御任銀拾匁以上百目迄之預手
形来夘年五月限通用被 仰付候間是迄之手形ニ取替無滞
可致通用候右之趣 御城附并高千穂村々末々迄可被相觸
候以上
十二月
右之通被 仰出候間村々承知之上小侍郷足軽寺社山伏其
外末々まて不洩様相觸可被申候尤此廻状早々□達留村ゟ
可□(ムシ)相戻候以上
十二月五日 宮水役所
岩戸ゟ五ヶ所村迄
右十二月九日達
出典 日本の歴史地震資料拾遺 5ノ下
ページ 1329
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 宮崎
市区町村 高千穂【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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