[未校訂](府内藩日記)同年十二月十三日
今般兩度の大地震、前代未聞の儀、隣端も同様と申内、
當方は殊更震候由。大坂表住居迄も破壊の段、畏縮の
至ニ候。然ルに一同の出精、我等假住居速ニ出來、過
分の儀とは乍申、近日破壊の躰荒々及見候處、家中
を始、城下町並東西村々とも、絶言語候次第、老人
子供は寒苦可難堪と、不便の事共相察候得ば、寢食
も不安、速ニ其手當いたし、市中ハ家業ニ爲取付度
候得共、城中を始、一般の儀潰家等も夥敷、其取斗不
容易、年寄中始、役々の心配尤ニ候。因て諸事を閣、
大鏡院様(閑山)敷年御辛勞無御厭御丹誠被成下
候御餘慶、且一同致丹誠候非常の備を以、乍聊先ヅ
燒眉の急を相救候。委敷は年寄共より可相達候。扨
江戸表よりハ、此節の儀、今以左右も無之、下田表ニ
ハ異國船數艘渡來の由、不穩時節、斯の成行ニ付、我
等の心中深相察、家中の面々一際心を用ひ、奢ヶ間敷
儀無之様、質素儉約相守、領中惣躰の取締相成候様、
精勤可致事。
十二月