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項目 内容
ID J3300302
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/12/23
和暦 嘉永七年十一月四日
綱文 安政元年十一月四日・五日・七日(一八五四・一二・二三、二四、二六)〔関東~九州〕
書名 〔大分市史 上巻〕S30・6・1久多羅木儀一郎著
本文
[未校訂](府内藩日記)同年十二月十三日
今般兩度の大地震、前代未聞の儀、隣端も同様と申内、
當方は殊更震候由。大坂表住居迄も破壊の段、畏縮の
至ニ候。然ルに一同の出精、我等假住居速ニ出來、過
分の儀とは乍申、近日破壊の躰荒々及見候處、家中
を始、城下町並東西村々とも、絶言語候次第、老人
子供は寒苦可難堪と、不便の事共相察候得ば、寢食
も不安、速ニ其手當いたし、市中ハ家業ニ爲取付度
候得共、城中を始、一般の儀潰家等も夥敷、其取斗不
容易、年寄中始、役々の心配尤ニ候。因て諸事を閣、
大鏡院様(閑山)敷年御辛勞無御厭御丹誠被成下
候御餘慶、且一同致丹誠候非常の備を以、乍聊先ヅ
燒眉の急を相救候。委敷は年寄共より可相達候。扨
江戸表よりハ、此節の儀、今以左右も無之、下田表ニ
ハ異國船數艘渡來の由、不穩時節、斯の成行ニ付、我
等の心中深相察、家中の面々一際心を用ひ、奢ヶ間敷
儀無之様、質素儉約相守、領中惣躰の取締相成候様、
精勤可致事。
十二月
出典 日本の歴史地震資料拾遺 5ノ下
ページ 1320
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 熊本
市区町村

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