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項目 内容
ID J3300282
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/12/23
和暦 嘉永七年十一月四日
綱文 安政元年十一月四日・五日・七日(一八五四・一二・二三、二四、二六)〔関東~九州〕
書名 〔広島県史 近世2 通史Ⅳ〕S59・3・27 広島県編・発行
本文
[未校訂] 安政元年(一八五四)、畿内・東海道を中心に起こった
東海道沖地震は、十一月四、五日を中心に十五日頃まで
三〇回余りも震動したすさまじいもので、畿内・東海道
はいうにおよばず東山・北陸・南海・山陰・山陽諸道に
もおよぶという広範囲な地域に大きな被害を出した。
 安芸・備後両国の各地でも、この地震については大規
模であったと記録されている。たとえば広島城下町で「人
家崩死者数不知」香草・井上家「年代記」
とあるほか、高田郡地方で
は四日の朝「四ッ時(午前十時)より大地震、昼夜少も
やみまなし」「徳栄寺、旧記」
翌五日にも「夕七ッ時(午後四時)
別に大地震」「貫船社旧記」
とあり、その様子は「床上に居るもの
一人もなし、池水七八寸傾き、建木倒るる程、屋根瓦落
ちわずらいの限、同年極月より翌正月二日頃迄凡そ百余
日の間地震止まず前代未聞の事」甲立・今井家文書
と記録されて
いる。賀茂郡竹原地方でも「古今未曾有、皆々驚」くと
いう大地震で、社倉蔵の壁が落ち、石垣が倒れ、大川堤
から泥水が噴出したりしている「下野村。節用」
豊田郡北部でも、
「山川モ如裂ルカ前代未聞之地震」として、家は揺れ、
瓦は落ち、石垣は動いたという戸野・福原家「違例之義扣旧記」
。また、安
芸郡府中市(現広島市)でも破損家屋が多く、辻・沖土
手や道路に亀裂が生じ、泥水が噴出したとある「大巳豊前諸書付写」

いっぽう福山地方においては、「当国福山御城下内、深津
村人家いたみ多し、尤古き家甚し、神村にて田中より水
新に吹出し、下は川と成、其外所々其類多し、上山南村
上田藺苗仕付場所御高八拾石程の処、山谷出水留り、其
辺井水古来より有所、此度地震にて水絶(中略)、尚又此
辺呑井之水絶、今は地中の穴と成所数々多し」「菅波信道一代記」
と、家屋がいたみ、井戸水が枯れ、水田が荒廃したとそ
の被害の状況を伝えている。
 このように安政元年の地震は、いまだかつて経験した
ことのない大地震であった。地震がおさまったのちも数
日間余震が断続的に起こったので、福山藩では民心の動
揺をおそれ、流言蜚語の流布を戒めている『福山市史』中巻
出典 日本の歴史地震資料拾遺 5ノ下
ページ 1303
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 広島
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