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項目 内容
ID J3300217
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/12/23
和暦 嘉永七年十一月四日
綱文 安政元年十一月四日・五日・七日(一八五四・一二・二三、二四、二六)〔関東~九州〕
書名 〔(静岡県)佐野郡上垂木村 中山家文書〕静岡県立図書館歴史文化情報センター提供
本文
[未校訂](嘉永七寅年霜月四日地震諸記録中山半兵衛控)1
十一月四日五ッ九ト時地震初馬村出勤之節甚タ強出(ママ)歩行
出来兼暫時見合候中チ四方村々出火多相見江候ニ付八太夫
一同帰村之上村内取締方申渡し候其内人足不残差出候様
御触ニ付居合之者吉五郎佐平ニ弥惣八召連掛川ヘ出人足遣
方御支配ヘ伺候処御蔵ヘ出候ハヽ差図可有之趣被仰候ニ付
御蔵ヘ行村方出有リ米□ノ縄張致郷御組龍右衛門殿米ハ
殿ヘ人足引渡シ小右衛門方へ行孫右衛門代五郎ニ出合候処
中宿村へ[焼|タキ]出頼置候趣相談有リ亦平太夫様飯粥之類拵差
出し呉候様御談事□申答置長坂且那様蠟燭御入用之
旨被仰候ニ付(衍、カ)ニ付□方ヘ申遣度□(枳、カ)迠参リ候処人足忠兵衛ニ
出合ニ付村方蠟燭有合トハ不及申倉真村ニも持合可有之
故是迠□合御入用之趣可賴申遣両御奉行河野様福高村山
角村地方村寿下等ヘ御見舞ニ行
(注、以下人足の人数や、賄の飯・干飯等の記事がつゞく
も省略する)
出典 日本の歴史地震資料拾遺 5ノ下
ページ 1217
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 静岡
市区町村 掛川【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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