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項目 内容
ID J3300218
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/12/23
和暦 嘉永七年十一月四日
綱文 安政元年十一月四日・五日・七日(一八五四・一二・二三、二四、二六)〔関東~九州〕
書名 〔西楽寺〕H6・11・6西楽寺編・発行
本文
[未校訂](前略) 天文七年に焼失した塔はその後の天文十二年の
「遠江国山梨郷之内西楽寺塔之修理理由事」に見られる
ように五重塔が再建され、貞享二(一六八五)年の災害
によって再び焼失してしまったと考えられますが、しか
し「御影参り由来」の原本が失われてしまっているため
に推定の域を出ることはありません。この塔の規模につ
いては、油山寺の例や勧進記の記事を考えると西楽寺に
ついても三重塔の可能性が考えられます
(前略)
宛造立三重之支提本尊、則安置能海虚空蔵、蓋此
尊誓願者一遍唱口念心増福智如指掌、尚経云、
(後略)
が、「御影参り由来」には五重塔と明記してあるなど不明
な点があります。所在地についても本堂の西側にあった
との伝承がありますが、推定地に平成四年度発掘調査を
行なった結果、[礎石|そせき]等は確認できず位置についても現在
のところ不明です。また、塔の本尊について寺記は次の
ように[虚空蔵菩薩|こくうぞうぼさつ]だと記しています。
(前略)
堂西存宝塔遺址、其所安之虚空蔵者基親彫之、
(後略)
しかし、平成四年三月二六日の袋井市文化財保護審議会
による調査によって、[位牌堂|いはいどう]の本尊台座の[墨書|ぼくしょ]には次の
ように大日如来であることが記されていて、仏師の名前
についても書かれては
此尊像客殿道場ニ法来安置有之
千代嘉永七寅年十一月四日朝五時大地震
ニ而四方民家当山伽藍大破壊其砌リ
悉損然者右仏之尊像重而再造
安置仕事也時代十九葉宥盛代
定時安政三辰三月日
西楽寺学頭法印尊昭台
伝聞是当山塔内之本尊也云
大日如来蔵台座に書く
師 □
出典 日本の歴史地震資料拾遺 5ノ下
ページ 1217
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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