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項目 内容
ID J3300139
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/12/23
和暦 嘉永七年十一月四日
綱文 安政元年十一月四日・五日・七日(一八五四・一二・二三、二四、二六)〔関東~九州〕
書名 〔笠原家日記〕○新潟県大潟町潟田新潟県立文書館蔵
本文
[未校訂]四日風雪積弐寸余寒気甚し
○四ッ時頃大地動一昨年十二月十九日地震ゟ少し輕き
歟之よし我等其節出府ニ付□□先年三条地震之時ゟ少
し又去ル未年三月廿九日之動よりも少し輕しも長キ事
未年三月廿四大地震与同様ニ被存候家内之もの
△九ッ比七ッ比小震一統外ニ出候□(中略)○夜半過暁七ッ前両度小震
五日曇る時々雪□ふく(中略)○昼七ッ頃中震□方
ニ而皆々外ヘ出る長き事無此上昨日大震同様夜分五ッ頃
夜半小震
六日朝之内少々風気大快晴美天なり○昼四ッ前小震
七日快晴○四ッ頃八ッ頃両度小震
○当四日地震松代城下大震之由段々風聞有之文慶子ニ
夜分善光寺門辺ニ而行逢承り候処今日□辺病家ヘ
信刕坂木之もの参り松本城下七百軒斗ノ潰レ松代者四拾
軒斗リ潰レ坂木宿四軒潰レ候よし相咄候□承る宿ニ而
段々承り候処松本之倒一向無之如何松代も三百軒余潰
レ候由之咄も有之候得共決定之事者不相知由
十九日中天気少々風気も時々有之
○岡ゟ当月四日地震下田壱番大ニ而皆潰出火其上大洪
波御府内皆潰半潰東海道筋大破之噂等江戸ゟ申越し書
付之写し□々大変至極なり
(十二月)十一日 ○七ッ頃小震夜四ッ頃小々震
廿二日 ○昼四ッ八分頃小地動
廿三日 ○四半過小地震
(安政二年正月)九日 ○九ッ頃中小地震長し
十日 ○七ッ頃微地震有之与覚
(二月)朔日 ○八ッ時頃ゟ七ッ頃迠之内三度中地震中之戻(カ)余
程大動
十二日 ○九ッ半時頃両度小地動長し
出典 日本の歴史地震資料拾遺 5ノ下
ページ 1084
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 新潟
市区町村 大潟【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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