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項目 内容
ID J3300071
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1847/05/08
和暦 弘化四年三月二十四日
綱文 弘化四年三月二十四日(一八四七・五・八)〔北信濃・越後西部〕
書名 〔善光寺大地震由来記〕長野市公文書館提供
本文
[未校訂]経ニ曰ク為非常ノ水火盗賊怨家債主焚漂却奪セラレ消散磨
減ス憂毒♠マヽ々無有解時又曰人在世間愛欲之中独生
独死去独来或時ハ室家父子兄弟夫婦一死一生更相哀愍
無有解已顚倒上下無常之根本ナリ云々、
頃ハ弘化四丁未年三月朔日ヨリ五十日間如来様御開帳并常
念仏六万五千日の供養ニて御本堂前寄進物ニハ高張幟吹
流或ハ餝物等数しれず亦町々ニて者軒燈篭并高張五色又
ハ紺白五反巾吹流見世物ニ者芝居狂言軽業其外見世小屋
ニて其賑しきこと言語ニ述べがたく皆町々ニハ中日の頃と
いふ家毎ニ来客ニて町々の群集いはん方なししかる所同
廿四日夜四ツ時頃(今ノ午後十時ナリ
)思ひもよらず南西の方と思
ひしが大地震動して家屋をたほし家或ハ地さけ砂を吹き
出し石をとばし家庫ミぢんニ砕け潰屋の下ニて即死のも
のあり或ハ手足を挟まれ又ハいづる場もなくして聲々ニ
泣きいだし助を乞ひ山野ニひびき候得ども誰ありてたす
くる人も是れなく父母をたすけんとて焼け死す人もあり
又女房野(ママ)物ニはさまれ髪毛持て引けるニ不叶して逃げ去
るものもあり足腰打れ歩行ならざる人もあり立木ニ取り
付き候ニ是れまた木とともに打たほされてけがする人も
あり実ニ地獄の有様目も当てられぬ次第なりしけるニ間
もなく四五ケ所より火もえいだし候所見るニ伊勢町湯屋
より初まり其激しきこと屋根ハ板ぶきニして薪木山の如
く積ミおき夫ニ火移り忽ち大火となり中ニて打潰れる人
もあり又焼死す人もあり逃れたすかる人も稀ニあり殊ニ
風強くして諸方へ吹き付けいまだ出でざる者なき所ニ吹
き付けそれ父よ母よと飛び付きて見るニ足を柱や野物ニ
おさへられて居る人もあり腰をおされて居る人もあり又
家内の死をかへりミずにげいづる人もあり子を助けニ行
きて死する人もありまた当町与右エ門などハ腰より下を
柱ニ挟まれ火の中ニて声を限りニ呼ぶ所へ忰火をおしわけ
柱の取かたつけニ力を尽し候得共火勢激しくして父の申
ニ者我れ此所ニ長居すれバ吾が命もなきゆえ弐人命終ら
バ後ニて法事修行位はいニ香花供うる人もなく候故此所
を逃げ行くべしといひながら火中ニ死ニたりけり忰泣き
ながら火をおしわけ逃げさりけり
又一方ハ新町へ焼け下り亦一方ハ岩石町ニ焼け移り新町
ハ風ハ北ニて火ハ手間どりて廿五日五ッ時迠淀ヶ橋迠焼
け下り問屋長治郎宅ハミぢんニ潰れ内室ハ家の下に相成
り火の移るとき様々掘りいだし助る家財少々残り候得ど
も皆々灰と相なりけり上原平右衛門ハ其夜御本堂より帰
り家内の親るい山中より病人薬調合と頼ミニ来るを待た
せおき先ハ内仏を拝し候後といひなから内仏ニ伺ふ所ニ
家潰ぶれ同人おし潰ぶされ病人ハ何事も無之みのや五兵
衛病人并ニ姉孫忰三人いねをるところへ家潰れ病人ハぶ
なん三人ともおし潰ぶれ焼け死す皆々其有様なり数ふる
ニ遑あらず新町男女とも死人三十八人裏の山崩れ片羽横
大門皆々潰ぶれ焼ける死人おほし新町鷺屋など者家ハ焼
け候得共家財ハ出し残る岩石町火ハ両側を焼き下り潰家
の下ニて老幼婦子なきさけび居れども助け掘す人もなし
まれニハのがれ逃去る者あれども帰り見づ定助ハ家の下
ニて心ニ思ふやうハ我朝夕神仏をハ思ひども利やくハ更ニ
なく其中ニふしぎなることハ平林の里の前を夜半何者か
しらねども今いそぎ行掘出すならバ定助家内不残助かる
也と呼ぶ声ありいそぎゆき掘りミれば皆々無なんなり朝
夕之神仏の利益ハこゝにありと悦びいで見れば火ハ其家
ニかゝり又伊勢町大島屋より火出で東西ニわかれ東の門
町下より火又もえいで火元三ヶ所と相成り同夜同町医師
堤昌方ニ婚礼ニて嫁并ニ先方の親るい山中の新町より嫁来
り当家の親類栗田村倉右源左衛門親分なり外横町小妻屋
喜八下後町菊屋七郎右衛門親子家のわれまより出で助か
る源左衛門夫婦ハ野物の下ニ相なりこゑ高く申ニハ我をた
すけいだし候人あらバ金員を何程成ともつかはし候とい
へども誰あって助ニゆく者なし遂ニ焼け死す下村壱人婚
礼ニつき夜番いたし居り雁木下ニて潰されて死す料理人
逃助かり西町宮下銀兵衛忰うたへニ行きて死す嫁方之親
類不残死す聟も死す親ハ助かり同町大工弥平外よりかへ
り潰家ニて呼べども小児のこゑあり屋根をやぶり入り見
るニ女房妹ハ死す一人の子児丸はだかニて後町へニげ来
る又手習師匠あり腰打たれてたゝず母と妹ばかり掘出し
逃げさり師匠ハ生ながら死す夫より神明社火移り火ハ四
方よりおこり其所ニ旅人多く死す板屋ニて人の子を預り
家潰ぶれ焼け預り子如何ニなりしや行方しれず上隣皆旅
人の宿屋なり宿毎ニ五拾人或ハ百人の宿人あり潰家より
逃げいで候ものたま〳〵あり候へどもおほくハ皆死す後
日ニ皆々在所より尋ね来りて此所ニねたといはれて何人
の骨かしらず持ち返へる人おほし御旅屋焼くる老人壱人
残り候へども半死なり定小屋ニて焼け死す者おほし表ニ
ハ猿芝居之宿なり是れ又焼失後ニ猿の頭あり外ニ犬の頭
なりといへども一切しれず後ニてハ旅役者のがいこつな
りといふ東之門飯縄社稲花(荷、カ)社焼くる火勢ハ上ニ吹き付け
念仏堂并門前皆焼くる宝林院寺ハ不残潰れ住主并手伝旅
人弐百人程壱人も不残焼け死す後ニ白骨ばかりなり鐘楼
堂やけ鐘ハとけ流るゝ後者灰ばかりなり其時寛慶寺あや
ふくなる所ニ栗田村より人々飛付き方丈ニ申ニ者寺を形付
宜しくといふニ此分ニてハ先宜敷と仰候由(ママ)者皆々帰りけ
り廿五日朝四ッ時より西風ニて火玉飛び来り客殿の屋根
ニ落つれバ其時風強くして彼是れさわぐ中ニ火もへ上り
庫裡客殿本堂不残火移り本尊斗り片かけニ背おへ出し逃
げ去り是れ今の本尊是なり火ハ裏の茶の湯座しきニ移り
不残焼失残り候ハ古土蔵ばかり是より善光寺如来様御本
堂已ニ殆ふく相成り候所先僧正様はじめ諸僧ハ如来様を
背ニ負へ裏遠く御連れ申し逃げ去りけり是今の堀切名号
石切蔵尊の所なり御供所ミじんニつぶれ石夜燈皆々倒れ
其下ニ死人多し本堂御拝の獅子壱ツ落つる柱ねじれ三門
の柱弐本ねじれ割れ経堂ハ無なん鐘楼堂屋根瓦落ちいた
む骨堂是又いたミ万善堂ハぶなん六地蔵尊崩れ大地蔵尊
くづれ御本坊台所皆潰れ客殿の屋根飛火ニてもへ付鳶の
大竹常八大勢人足引きつれ其火を消し止め土蔵物置米蔵
ミなつぶれ其中ニ火ハ諸々よりもえ上り候所へ七瀬村よ
り村印高張持数人ニて本堂并本坊前後を守護す故ニぶなん
なり夫より本堂前の見世家毎ニ火もえ上り一時ニ火とな
り東の門町東の堂内寺々より大風ニて吹き付け忽ち火と
なり又々玉照院より火もえ上り小御堂座敷勝手半つぶれ
みぢんニ潰れるもあり住主旅人皆死す中ニも寺方ニてにげ
だし助る旅人もあり又中ニハ旅人ぬす人のしわざと思ひ
金ハ皆渡すニより命ばかり助け呉れといふこゑのあり寺
方もあり世尊院の本尊釈迦如来火中ニ残り候得ども少々
御身ハいたミ此寺ニても旅人おほく死す吉祥院ハ不残潰
れ家内旅人皆々家の下ニなり出ること不叶の所山王車屋
松治郎といふもの飛び付き呼べども〳〵声なく其中ニ子
供の声ニておとつさんといふこゑあり是ハ該(ママ)人の忰如来
開帳ニて雇人ニ居り候故なり屋根をやぶりはいりて見れ
ども下天井あり其下ニてよぶこゑあり又天井やぶりよふ
やく入りて見れバ同人の忰なり命がぎりニひき出ださん
とすれバ奥の方と思ふ所ニ松治郎殿我をたすけくれろと
いふこゑニて住主よびけるニ待ちたまへといひながら忰
をかたニうけ六地蔵尊の裏ニ置きいそぎ行きて見れバ其
穴より火を吹きいだし入ることならず皆々焼け死す実ニ
あわれのことどもなりゆゑニ表口へまわり小御堂の本尊
弘法大師の像をかつき逃げ去りけり火ハ一面ニ相成り又
西の方薬師堂の本尊脇立ばかり住僧広にはへ出しけり夫
より寺方火勢一面ニ相成り良性院ニてハ雇小供屋根をや
ぶりいで命ハ助かりけり徳川氏御霊屋ニ火移り誰ありて
行くものハ是れなし其南ニ稲荷の社あり是れ幸ニ残る大
本願上人様客殿御居間不残潰れ役人皆家の下ニあり命あ
るもあり死人もありかれこれいふ中に火移り不残焼け中
ニも宝蔵焼け落ち羽柴秀頼公筆狩野元信の筆陸真沖の筆
地蔵尊まんだら中将姫髪の毛の名号外ニ珍しき宝物有る
中に第一釈迦如来の舎利是ハ後灰の中ニ其侭ニこれあり
夫より火ハ名号堂ニ移り本尊ハ正ママ徳皇太子御作両蓮花座
の弥陀如来潰れ焼失蓮心寺和尚虹梁ニて足をはさまれ七
瀬村より人足飛びつき見れバ和尚の申すニハ此足を切り
助けくれといふニ此人道具を持ち助けんとゆきミれバは
や火移り行くことも出来ず遂ニ和尚むざんなるかな其侭
焼け死す其人も命あやふくみへけれバ念仏が第一と
いふママながら逃げ去りけり名号堂より火勢二王門ニ移り見
る中に一面にもえ上り二王尊ハ世ニ稀なる作の尊像なり
遂に灰になりけり北裏ニ安置有之候ハ大黒天三宝荒神の
像ハ伽羅仏ニして徳河三代将軍姫君の寄附なり是れ又焼
失熊野社諏訪社焼けおち神木焼けかるゝ堂明(照、カ)坊本尊庚申
尊ハ名作なり并親鸞上人御筆笹字の名号世ニめづらしき
宝物焼け失す堂照坊の本尊大師の作弁財天灰となり旅人
寺内ニおほく死す夫より下方の寺々同断死人数しれず法
然堂町正信坊本尊法然上人并いんま大王三途川の姥此三
躰ハ焼け後土中より出現す尤明堂(ママ)坊ハ聖徳太子より御ゆ
づりの書付あり此品焼失鏡善坊旅人死人百人余寺内皆々
死す其中ニ一人の母煙りいでし下にて何ごともなく助る
上の石仏焼くだけ石段の両夜燈崩れわれる是は二天の前
なり御高札つぶれ高札板四枚松屋忰持去リ候故御上より
御誉られあり横町石垣の下見世石垣の下になり潰れ死人
あり中にも酒見世より火もえ上り能登屋よりも火いで太
兵衛宅ハ一人残り跡ハ不残皆死す角の見世一人も出ず売
子ばかり如来参詣ニゆき残り助かる三右衛門家ハ南ニた
ほれ中ニて表をたゝきこゑをかきりニ呼べども誰あって
表戸を打くだく人もなく終ニ焼け死す皆々横町ハ家毎ニ
如是にして目も当てられぬ有様なり同町ニてハ死人ハ旅
人とも三百人余廉屋正右左衛門の老人ハ鐘鋳端にて死す
家内人皆々潰れ家の下なり番頭壱人子供をあへし居り候
ところへ潰れ死す常吉ハ裏へ逃げ出し助かる越後の商人
二階にて金の出入をいたし居候所へ家潰れ家の下になり
死す後灰片付見れバ雨落ちの所ニ金五十両あり是を送り
候や高津の番頭雨落ち迄逃げいだし潰れ死す実に横町よ
り東の門辺ハ西側にて家潰れ下にて其所へ火かゝり老若
男女なきさけぶこゑきゝ候ハ此の世の地獄と思はれたり
横町中に女のこること二人同町火平一面なり西横町石垣
の下の見世ニて旅人酒呑ミ居りて石ニうたれ半死にて居り
候所へ火かゝり焼け死す角の村田屋にて(今の丸為)子
供ばかり焼け死す横町の火勢吹き上げ惣太夫様迠焼け上
り夫より火は大門町西側焼け下り小升屋両家売子少々残
り皆死す家内のもの少々のこる丸のはだかにて逃げ行く
ものもあり藤屋平五郎旅人おほく死す家内は岡田七兵衛
飛びつき掘出し助かる主人ハ多用ニて残る助る久八家内
壱人も出ず潰れ皆死す和泉屋平作旅人凡弐百人も死す家
内ハ少々助かる平兵衛宅皆死す売子壱人湯にて助かるふ
じや平左衛門旅人おほく死す家内ニても死人あり小升屋
伝兵衛ニてハ土蔵ニゑんしゃう積ミ置きこれへ火うつり
て其激しきこと雷のごとし灰砂を吹き上げ其おそろしき
こと言語ニ述べがたし家内おほく死す焼後白骨山のごと
し是より火ハ廿五日朝なり牛王宮ハ後町惣左衛門持ちに
げるに河屋といふそばや之老人家潰ぶれ中にて火躰を
たゝき助け呉れといふに人聞き分けて是を助ける柏屋の
焼けるときハ実ニおそろしきこといはんかたなし大門大
部屋(宿馬の居るところ)ニてハ馬八疋人共ニなんなく皆
にげ助ける其中ニて産をする女あり同町ニてハ表ニ飛びい
で逃げたすかるもあり又潰れ死すもあり焼け死すもあり
又火ハ西町の方を焼け下り諸々様々成ることおほくこれ
あり候得ども書きつくしがたく西方寺本堂ハなんなし庫
裡勝手みぢんニ潰ぶれ鐘楼堂いたミ地蔵尊焼けいた
ミ市(ママ)神宮の石是又焼けいたミ火ハ南に下り西側三軒程焼
けのこる長野町今の長門町
焼けおほく潰ぶれ人おほく死す天
神宮潰ぶれ塀皆崩れ前の湯屋にて人おほく死す中ニも久
八女房哀れなり万蔵同断なり夫より西の門町吉野屋酒蔵
溜蔵不残潰れ焼け忰ハ御霊屋小路にて死す老人ハ軒々火
の付き候ときにげいづる火口四口もあり阿弥陀町今の栄町

にしたがひ西へ焼けのけ桜小路今の桜枝町
前同断生ながら家
の下にて焼け死すもあり又死して焼けるものもあり薬師
堂やける何にても町中に残るもの更になく人々死するこ
と数しれず実に焼け後にハ死人白骨おほし西の方一本木
潰家おほし焼け残る家稀なり山方の人にとめ置候宿あり
此家にて死人数しれず又火先ハ中程より此へのぼり荒町
の方西側火上り今井忠蔵殿中野治兵衛殿上田丹下殿右ハ
大勧進の後人なり家財不残焼失中野氏主人野物にうたれ
死す夫より火ハ盛なり土屋彦八表ばかり焼け裏ハのこる
横沢町御門前潰家おほく残る家稀なりあたご権現の社潰
れ久保田内記殿潰れ諏訪大明神社半いたミ宇佐八幡社前
同断横沢下町東の方やけ死人あり又々火東へいで常徳院
薬王院家財道具申に不及内仏本尊まで一切皆焼失へ旅人
多く死す新みち豆腐やニて父子逃去り女房ハ野物ニ腰を
はさまれたすけよと呼候へども聞きいれずにげさる女房
壱人家の下にて本堂の如来を拝ミ今一度此世に明りを見
せたまひと一心に祈り候にふしぎなるかな腰をおさゆる
野物ばかり焼け申より二ツにおれける身躰を自由に相成
りければ外へ飛びいで命かぎり逃げ行きけり西之門桜小
路角に女三人の死がへあり乳より上ばかり焼け何れの者
やらしれず桜屋佐兵衛主人壱人残り家内皆死す売子まで
死す出入の女子をおひ逃げ去りぶなんなり村田屋両家皆
死すこくや喜兵衛より火もえいで新みち柏やより火いで
湯やより火出で夜明方に火西町より畑ケ中に移り源左衛
門長家より次第に火ハさかんなり早や廿五日五ッ時頃
今ノ八時
火先東之方にゆき又大門町より火先上後町に下る畑
ヶ中湯や死人あり上後町つたや友吉方に潰家にて足をは
さまれ候者出し助ける人もなく遂に焼け死す山屋にて死
人おほし塩ハ焼け候後白山の如したまり多く焼ける杤木
屋普請出き引きこし見世びらき土蔵出来上がらずに潰れ
不残死す正法寺本堂残り庫裡勝手潰れ焼ける鐘楼堂焼け
落ち善立寺定専寺并屋台蔵土蔵不残焼失道祖神焼けるし
まや藤四郎家に火付命限りに逃げ出る頃ハ廿五日九ツ時
なり今ノ十二時
下後町にてハ秋葉大権現をかざり祈りけれバ
ふしぎなるかな今まで北風の吹き候ニ忽ち八ッ時頃より
今ノ二時
南風となり西ハ深美六三郎表にまで焼け下り東ハつ
たや平三郎方迠焼け南風にて火ハ東に向ひ権堂ニ出で徃
生院の裏にもえつき火先北に吹き上り上後町大方家ハ潰
れ皆々焼け失す伊豆屋の明(カ)やぶに小野喜十郎水茶屋いた
し是れ又潰れ此家より火もえ上り大勢集り消し止めしま
やより下兵五郎吉野屋鳥かひこくや四郎兵衛かじやこく
やまでおし潰れ鍋屋小路往来なく裏も同断東へ荒井やつ
ぶれきくや酒ぐら不残潰れ瓦屋職場つぶれ下ハ穀新長家
新田町近江屋うら潰れ吉五郎夫婦死す西ハ只七池田清右
衛門潰れ死人あり新田西の方にて後の地震にて潰れる家
あり嶋太ニてハ番頭壱人死す火先上より上後町中程に下
る頃昼九ツ半時頃なり今ノ一時
高井郡六川御役所より役人中
駈付候者寺嶋善兵衛半五郎彦太郎供人数人にて御出張相
成り家財の番ハ壱人にてよろしく男ハ不残火先止める様
にと御下知にて当問御所名主伊左衛門今ノ奥村氏親
はじめ村方
不残人足にて火をけしとめ夫より権堂へ出で候火ハ西ハ
西方寺の七家東ハ重倉与八より北へもえ上り火先両側よ
りもえ上り目も当てられぬ有様なり高札并柳原寺秋葉社
弁財天皆々焼る永井善左衛門氏表門居屋迠不残焼ける夫
より遊女屋小川屋林屋是にハ遊女家内弐人残る潰家の下
にて皆死す五百蔵栄屋柏屋碇屋島田屋三ざゝや橋本皆四
五人つゝ死人あり中屋にて遊女壱人行くゑしれず諸方た
つねけれども一切しれず其後廿日もすぎて東の川に飛こ
み其上に石垣くづれ其下にて死す玉川きいやいびすや市
川やふじのやふじや若松や杯と表の障子火かゝる頃ひる
九ッ時分なり今ノ十二時
平一面にもえ付き見るもおそろしき
有様たとへん方なし川より東嶋屋駒田屋よりもえ付き小
藤屋山石やつくたやふじや隠宅此家珍らしき上普請も
皆々焼る土蔵ハ残り北辰社たほるゝきの国やふじ本藤沢
や少々づゝ死人あり火ハ何れともなく明行寺南ノ角より
もえつき本堂残らず焼け庫裡も同断教円寺是れ又焼失家
に見も(ママ)んの火勢なり此火先ハ田町へ吹き上げ又壱方ハ東
町康楽寺ニ移り本堂庫裡とも其日七ッ半時頃焼け今ノ午後五時之
法蓮寺聞光寺不残焼失太子堂倒れ焼け東町ハ皆々潰れ間
もなく火いで上より焼け下り不残死す家も有り女房小供
残し死す人も有り八百屋にてハ火出で穴倉にはいり亭主
女房小供弐人其上火もえかゝりいづることならずして中
にて死す小路の八百や亭主女房弐人下女をおきざりにし
てにげ下女ハ逃げいでんとして穴ぐらに落ち漸々くぐり
いで候へども腰たゝず手足にてはひ逃げ助かる同小路の
そばや主人ハ客人と碁をうち居り候とき家潰れ下にて焼
け骨そのまゝあり町ハ少々高く相成り右そばやニてハ女
房死す武井神社地一尺ばかり高くなり宮ハ其侭にてやけ
木像神官忰持にけ去り神主ハ高津やの石垣の下にて死す
西宮社守丸山数馬忰をいだき上にて死す後半焼にて家の
下より出す西宮大神宮皆焼け庭の石のほくら皆くだける
花や孫兵衛の土蔵のこり山本佐中死す山田厚(カ)庵青山仲庵
皆な焼ける鐘鋳端川へ家潰れこむ大部屋にてハ皆家つぶ
れ馬を引出することならずして潰家の屋根の上をつれ出
しにげけり表田町稲荷社焼ける家の下になるもあり死す
もあり善済寺潰れ焼け清浄寺焼け老僧ハ助かる住主ハ行
に出で焼け死す弁天の社潰れ池ハうづまる飯縄社潰れや
ける裏田町潰れ火ハかゝらず残る東町こくや新四即焼け
蔵にもミ弐百俵程あり是へ火移り四五日も煙りたち目も
あてられぬ有様なり上の茶屋杯は一切不残皆死す鼡屋の
蔵に火付きいんしゃうに移り蔵を吹きやぶり其音ハ百千
雷のごとく四方にひゞきそのすさまじきことたとへんに
言なし実ニ東町横町大門町辺ハ地震の中心とも云ふべき
か潰家のおほきこと目もあてられぬ有様なり親は子を呼
び子ハ親をよび又ハ夫をよび妻を呼び其こゑ天地ニひび
きなきさけべども誰ありて助けに行くもの更になく誠に
哀れのことどもなり大門町問屋善兵衛方に泊り居り候加
州の御家来壱人家の下より引き出され田町裏に出で寺に
てたゝミ壱枚の上におき町ニて食物を送り二三日すぎて
連合の者きたり加州へ飛脚たち同町弥平といふもの参り
かご持ち来り帰りけり供人ハ皆々潰れ焼け死す亦紀州の
御家来五人是ハ旅籠屋平兵衛方役(ママ)宿ニて是ニ泊り三人死
す弐人残り助かる丸はだかにて逃出す大小荷物并□路用
金なく漸々紀州へ帰りけり上州の旅人丸のはだかにて逃
げ行くもありふとんをきて逃るもあり面や手足をうたれ
血ながれ其侭にてゆくもあり誠に哀の次第なり又ハ食物
食さずしてゆくもあり尾張様御領分にて御調べ相成り候
所弐百余人も帰らざるもの有之候也越後のもの大門宿屋
よりにげいで鐘楼堂下ニにげゆき候所へ夜明け方誰人か
しらず少しのつゝみものたのミあつけとるに其人きたら
ず廿五日九ッ時になり候ても来らず中を見るに金百両あ
り無拠越後ニ持ち帰りけり又松代在赤柴村関谷村の女男
小児二十人ばかりの人々何方に泊り候や一切しれず不残
つぶされて死す哀れなり又安曇郡ふたりの者千国村土屋
村の人々善光寺にて潰れ死するものおびただし又右村の
人山中下祖山綿戸組に泊り此にて死するものおほし茂菅
作道皆落つる西のはし西の山くづれうづむ田畑おほくい
たむ山中往来なし又往生寺村家々并寺迠つぶれ埋ミ山お
ほくくづれごをろの山のけ落ち大峰道くづれ谷うづむ箱
清水上松村潰家おほし昌禅寺潰れ儀寛和尚死かへもしれ
づ薬山やくし堂ハ谷におち埋ミ道一切なし真光寺石油池
うづむ伺去村の奥に土より火いでもえ上り誠ニふしぎの
ことなり夫より押鐘村盛伝寺本堂客殿庫裡土蔵不残つぶ
れ人おほく死す横山より三町迠潰れ家おほし相の木五十
戸ばかりやけ吉田天周院つぶれ人おほく死す又町々の
人々東裏野中に小屋掛りにて鍋壱つ位にて住ミけり又
町々こくや皆つぶれ焼け米麦売人更になく鍋釜ハありと
いふとも食物野菜更になく実に前代見未聞の哀れなり又井
戸水なくして困ミ(ママ)候所もあり只死かひを犬猫の死したる
如く寺人持ちゆき仏事もなくうづむばかりなり親しなれ
野中に小供のミなくもあり子にしなれ母壱人にてなげく
もあり又下後町こくや新兵衛殿方にてハ米穀売りいだし
一人前百文づゝ売りまことに買ひ来る人々群集なし其後
地震毎日何度ともなくあり人々野中の小屋にて今にも地
さけ皆々死す杯といふ人心恟々として心の休まるとき更
になく実に前代未聞の大災といひつべし
乍恐以書付奉願歎候
信濃国水内郡 御朱印地善光寺町之儀者従往古北国往来
ニ而 御用御伝馬人馬并ニ諸家様方御通行人馬継立仕候得
供善光寺宿之儀者外宿与違助成者勿論助郷等も無御座僅
商持共ニテ年来相勤罷在候所一昨弘化四未年三月廿四日
地震火災ニ而町家者勿論家財等ニ至ル迠焼失仕一統難渋至
極仕候而近辺親類縁者等も右同様之仕合漸々仮住居候而
露命相続仕候程之儀故宿方諸事差支勝ニ而一統心配仕候ニ
付地頭所へ追々歎願仕候而手当御座候得共中々以相続行
届兼 御継立御用差支ニ相成候而者奉恐入候御儀ニ付無拠
不顧恐奉歎願候前件次第ニ御座候間今般宿場助成御貸附
金之内金五百両拝借奉願上候返上納之儀者拾ヶ年割済ニ
被 仰付被成下置候様奉願上候右者此度善光寺宿為相続
御拝借奉願上候儀ニ御座候得共御請証文之儀者村方証文
奉差上候年々聊無遅滞返上納可仕候間何卒格別之以 御
憐愍右願之通り被仰付被成下置候様一何奉願上候已上
御朱印地
信濃国水内郡善光寺町宿役人惣代平五郎 印
善光寺町役人惣代与三右衛門印
嘉永二酉年三月
御勘定
御奉行所様
村方名主惣代栄吉 印
以添書御願申上候
信州水内郡 御朱印地善光寺別当大勧進儀者従来勝手向
不如意罷在候所天保七酉年凶作之節領内近領等ニ至る迠
扶食安穀売渡候旁弥難渋ニ相成尚又一昨弘化四未年三月
地震大災ニ而領民共必至難渋故扶食米ハ勿論家作手当等
も致遣し候得共大勧進迚も同様堂舎相潰候得共修復も行
届兼候程之儀ニ御座候所宿方之者共往還御用向相勤兼候
旨申出無余義筋ニも御座候間其砌手当致遣し候得共難行
届依之宿方之者ゟ拝借金奉願上度旨別紙之通申出候何卒
出格之以 御憐愍右願之通御貸下ヶ被成下置候ハゝ難有
仕合奉存候尤御返納之儀者聊無相違急度上納為仕可申候
間幾重ニも 御仁恵之程奉願上候已上
御朱印地
信濃国水内郡
善光寺別当大勧進権僧正家来今井磯右ェ門印
嘉永二酉年
三月
御勘定
御奉行所
御請
御朱印地信州善光寺宿之者共一昨未年地震ニ付難渋之次
第ヲ以宿場助成御貸付金之内五百両拝借願書へ添書を以
差出候処被成御預り置候旨被 仰渡承知奉畏候依之右御
請申上候以上
三月廿六日
御勘定御奉行
久須美佐渡守様
御役人平野工都(カ)殿
清水丹平殿
信濃国善光寺別当大勧進権僧正家来今井磯右ェ門当病ニ付松沢祐補 印
口上覚
信州善光寺之儀者寺領千石之所ニ候得共人別凡壱万人余
有之往来旅人其外参詣人等有之繁花之場所ニ候故往還
御用諸家様継立等之儀者善光寺町之内大門町東町西町三
町ニ而相勤来其外町内村方等ニ而人馬差出し候儀も無之殊
ニ近郷他領等ゟ助郷人馬差出し候儀従先々無御座候得共
是迄無御差支精々相勤候所地震変災後町在一統相潰其上
善光寺之義者健(ママ)家者勿論家財諸道具等ニ至る迄不残焼失
漸々仮家相立住居仕候而已ニテ甚難渋仕候往還 御用御伝
馬相勤兼候由ニ而地頭所ゟも手当致遣し候得共中々以相
続方行届兼無拠今般宿方為相続且者御伝馬御用相勤り候
様宿方之者共ゟ拝借金奉願上候儀ニ御座候御返納方之儀
者諸売荷其外賃銭之内刎銭可仕積立置御割合之通り聊無
相違上納可為仕万一上納辻不足ニも相成候節者村方収納
米ニ而無相違相納候様可仕候間善光寺宿為御救格別之以
御慈悲願之通拝借被 仰付被成下置候様偏ニ奉願上候以

信州
大勧進家来今井磯右衛門
出典 日本の歴史地震資料拾遺 5ノ下
ページ 833
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都道府県 長野
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