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項目 内容
ID J3300007
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1847/05/08
和暦 弘化四年三月二十四日
綱文 弘化四年三月二十四日(一八四七・五・八)〔北信濃・越後西部〕
書名 〔角竹郷土史料文庫〕飛驒高山まちの博物館蔵
本文
[未校訂](善光寺地震状況)地震4
善光寺やけたる町ハ
西町 東町 田町 がんせき町 いせ町也
いなり山ハミなく やける旅人共
一千五百人壱人死 たんば川とまる
川上ハ新町近所七里四方水つまる
此外本堂の
つりかね并
坊々石とうろう
不残つふるゝ
松代様
上田様
松本様
御救米被下難有御事ニ候
こゝにふしぎなるハ柏やといへる主
常々善心ゆえ家内不残止宿の旅人
まで地しんのさわりなく助る□(カスレ)
□来の方便力なりと人々□(カスレ)
弘化四年未三月廿四日夜四ツ時ゟ大地震
善光寺ニて 大門町
ふぢや 平左衛門 三百五十人死
わたや 仁左衛門 三百三十人死
ふぢや 平五郎 弐百三十人死
ごんど 女郎屋
ふぢや
若松や
きの国や
ゐものや
女郎〆百八十人焼死
地震ニて善光寺地者
旅人共〆三万余人変死也
善光寺如来
赤はたを持此所へ
むかふ
出典 日本の歴史地震資料拾遺 5ノ下
ページ 631
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 岐阜
市区町村 高山【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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