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項目 内容
ID J3100261
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1858/04/09
和暦 安政五年二月二十六日
綱文 安政五年二月二十六日(一八五八・四・九)〔飛驒・越中・能登・加賀・越前〕
書名 〔金沢市史 資料編10 近世八〕金沢市史編さん委員会編H15・7・31 金沢市発行
本文
[未校訂]949 安政五年(一八五八)二月 安政五年二月地震の報告
当廿五日夜地震ニ而、私方御座所廻余程かたかり、障子・
唐紙明立不申、壁抜落申所も御座候、御次ゟ御式台之間
タ、建物も古ク御座候所、指物朽折候哉、鴨居・なけ押
落、唐紙等も相損申候、且安政二年奉願外廻り土塀、普
請出来仕候分かたがり申候、其外勝手廻不残相損申候ニ
付、先此段御達申上候、以上
(安政五年)午二月南森下村金右衛門
御改作御奉行所
私才許組村々、当廿六日暁之地震ニ而人家等少々相痛候向
も御座候得共、潰家・人馬損無御座候、依而此段御達申上
候、以上
南森下村午二月金右衛門
御郡所 壱通
御改作御奉行所 壱通
私才許五箇庄組村々之内、一昨日廿五日夜大地震ニ而持家
相損、山方村々ニ者山崩等仕、御田地相損候分も有之旨
追々相断申ニ付、先此段御注進申上候、以上
午二月廿七日
南森下村金右衛門
御郡所
御改作御奉行所
(石川県立歴史博物館蔵 大鋸コレクション)
[解説] 本史料では「当廿五日夜地震ニ而」とあるが、こ
れは二月二六日未明、「夜九ツ半頃(午前一時頃)」(『応響
雑記』)に発生した越中・飛驒を直撃した大地震のことで
ある。十村役金右衛門が御郡所・改作奉行宛に出した自宅
被害状況、及び才許村々被害状況等の報告。本史料以外
に、森田柿園(平次)「北国地震記」中の「安政五戌午年
二月地震記」(加越能文庫)にも詳記されている。
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 四ノ下
ページ 1737
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 石川
市区町村 金沢【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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