[未校訂]安政の地震
安政三年(一八五六)七月二十三日南部藩領で大地震
が発生し、甚大な被害が生じた。この地震は、「三陸津波」
をもたらした地震で、三陸沿岸の村々は津波に襲われて
一村全滅という所も少なからず、壊滅的な打撃を被った
災害であった。釜石では神社の鳥居を越す程の津波が襲
い、いたる所で建物の損壊や流失、あるいは圧死や溺死
する者が多数生じた。
被害は七戸通以南に集中的に発生し、大畑を含む田名
部通の被害は少なかったが、藩が各通で実施した被害調
査を見ると、地震は二十三日の前に十九日にも発生して
おり、十九日の地震で正津川村の正津川橋の釣木一本が
外れる被害が生じた。また二十三日の地震では壁が落ち
るなどの小さな被害が生じたが、その後に来襲した津波
もたいしたことはなく、船舶などへの被害はなかった。
正教寺の『一峰山歴代記』には、「七月二十三日ヒル九ツ
半時 大地震 本堂ノ白壁少し[斗|バカ]り痛み別条ナシ 境内
ノ石灯籠倒し是モ少シ痛ミ市中土蔵不少相痛ミ」とある。