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項目 内容
ID J3100050
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1855/11/11
和暦 安政二年十月二日
綱文 安政二年十月二日(一八五五・一一・一一)〔江戸及関東一円〕
書名 〔寺門靜軒書状〕○江戸埼玉県立文書館提供根岸家文書5051
本文
[未校訂]御状拝見致候大変御見舞奉謝候三日ニ七兵衛□申
候間此辺ハ無難のよし頼ミ□□且ツ中山道ハ大宮あたり
までと承り申候間貴地ハ御無難の事と察し候へとも三五
道人光来ニ而女中がた(カ)ハ深さくへ御滞留との事岩城道ハ
江戸□所(カ)と承り申候間おまち(カ)ハ戒名ニ而参り申べく候と存
候御しらせニ而まづ安心致候○河東ぶしさらい居申處へ
地震飛出候あとニ而壁落椽側ハヅレ親(ママ)規造り申候書斎ハ
安普請ゆへ倒レかヽり申候万事ハサテオキ命ヲ免レ申事
ニ而沢山ナル事ハ慶ヒ可申候事命ハ逃レ申候へともアト
一年ハ暮し□無之候間まづ一応御近辺へ引移り来春西遊
いたし度三五上人ニ此後相談いたし申□置(カ)候来月ニも相
成リ候ハヽ此辺ゟ書状さし上け申候間其節舟の事など心
得候人佐吉殿ニ而も遣し被下度此段頼置申候

此度の大変ハはなしゟ大ナル事深川本所浅草も(燃)へも甚し
く山の手は少しよろし神田辺も少しよろし聞見憐むべき
事前代未聞と申べし扨某(カ)などハ何の幸か三夜露宿いたし
候まゝニ付苦ヲ免レ申候酒ハたくハへ□□□事米ニ困り
一二升ツヽ借受飢ヲ凌き申候 吉原火事死亡大半但シ玉
屋などハ仕合ニ奉公人ニ怪家無之もと地へ借(ママ)宅モハヤ普請
ニかゝり申候所(カ)ニ御座候 三芝居焼失役人ハ壱人も無難
のよし圓蔵事来三日ニ下り候所ニ相来り申候間来春ハ不
見ま(満)事ハ兄とわたし西遊となる處是も来々年ナラデハ下
り申間敷候段ニ而も地震の日々忰九蔵到着いたしハダカ
ニテ命ばかり助かり申候右ゆへ少し助勢とふいたし遣し
申候大名ニも即死の人往々有之候よし水戸やしき殊ニ烈
しく虎之助なと即死其外死人多分ナルよし御城ハ両丸と
も無難局面(カ)ツブレ申候ばかりニ御座候無外稲(カ)村翁も御地
へ行込度よし御家内も今度ハ大困リニ而引込度よし翁余
年無之御事ニ□(ムシ)御引取然ルべき事ニ存候
□生も無事ニ候へば□学先生も定而無難大慶□ 過
日ハ浅草為見いたし置申候へとも取書(カ)ゆへ後便ニさし上
申べき事前文の通り成てハガラクタ舟積ニいたし一とま
づ御地へ参り度手紙さし上ケ次第候人壱人遣し申候此段
偏ニ奉頼候以上
十月十六日
靜軒
□山大官人
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 四ノ下
ページ 1276
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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