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項目 内容
ID J3001012
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/12/23
和暦 嘉永七年十一月四日
綱文 安政元年十一月四日・五日・七日(一八五四・一二・二三、二四、二六)〔関東~九州〕
書名 〔嘉永七寅年地震津浪記〕○高知県幡多郡中浜池文書「土佐史談」第六 十一号S12・12・5 土佐史談会発行
本文
[未校訂](注、「新収」第五巻別巻五ノ二、二七四三~二七四六頁
にあるも、一部分欠けているので改めて全文をのせ
る)
嘉永七寅年地震津浪記
嘉永七甲寅年十一月五日申ノ下刻大地震靜る否浦々へ大
潮入事四五度尤二三度ハ就中高しあがる壹丈或ハ貳丈斗

右地震靜り一両日の内ハ一刻ニ四五度斗りゆり候翌卯の
年中少々の地しん不絶大筒の音の様ニなるも有り又ハ家
の鳴ほどのゆりもあり後々ハ少々のゆりハかまわす渡世
いたし候恐るべし〳〵一右十一月五日の曆かのへ午やぶるちいミ天火ろうしや

一大地震の時ニハ急ニ井の水へる物なりへらぬ井戸わに
ごる物なり大ゆりニハ井を見るべし井戸の中ニかわる
事なけれバ氣遣なし
但此時の濁りハくまざれ共濁るゆへ地のそこより吹
出すと見へ候
所ニより井の水干かれる所有然共地しんせぬ前ニ干
ゆへ氣の付ぬ物也地震すれバ猶又濁る或ハかれる物
也此時五日之朝水にごり或ハ水へり候得共晴天打續
事故水干候と思ひ氣の付ぬもの也大ゆりの朝ハ猶々
へり濁る也大ゆりの下地也
一汐のくるう時井の水にごれば必大地震の下地也
一大地震すれば大津浪入事ゆだんすべからす此時ゆり靜
る否湊の内の汐引干し事おそろしき事也中濱浦など湊
の口迄汐引川原のことし眞中くぼみやげんのごとしみ
ぞの所々小川のごとく汐ありて飯しのわく様ニあわ立
見ゆ
一清水湊の内渡し舟なくして渡れる樣ニ引かれ候
一一度引かれてすぐに大潮入くる者也引ハ甚はやき物入
り來ハ少しおそし幾度もさし引之時
一入海ふかき所ハ別而汐高く入ル物なり
一大地しんする時ハ四五年も前ゟ天氣不順する物なり此
度之ゆりの時も四五年前ゟせり日和りのミいたし四日
ゟ五日之朝迄ハ風有然共其風不定一いき吹てハ靜り風
の方角不定吹き様もそろはす
一大ゆりの時分ハ天ニ雲なく青空ニて風不吹海上ひかり
惣分志づかにて天氣とろけ實ニおそろしゝ此時地しん
する迄ハ三四月之心持ニて甚あたゝかニて寒き事なし
寳永の地震ハ十月ニ帷子ニて往來せしと聞候
一前日四日の朝ゟ入江の所ハ津浪入る尤常の津浪と違ひ
惣分海底をまぜるごとくうづ立濁り入る也此日ハ終日
不止入るゆりも少々あれ共不知人も有り高知邊ハ四日
ニ家をでるほどゆりしとなり
一五日の朝津浪も志づまり天氣もよく甚あたゝかニて何
心なき所へ大ゆりニ成り大走動尤八ツの時刻なり實ニ
此日大ゆりのする迄ハ誠ニ靜ニ御座候
一大ゆりの時の有樣野山惣分を見るに大風吹ごとし大木
も枝をたれ或ハたをれ竹のうら地をはらい家のいたみ
山の崩れ火事のごとくけむり立すべて世界おぼろ月夜
のごとし見ゆ
一大ゆりの時とびからす諸鳥飛事あたわす地へ落てころ
び候
一中濱邊ハ潮格別不入上ミの橋の下迄浪先あかり候いた
み家無惣分山近き故すぐに山へにげあがり人いたみも
なしゆりも外々ゟかろき由
一ゆりハ國によりかろきをもき有一ト在所の内ニても地
底のかたき所ハゆりかろし
一猪の尻浦宇どん屋の老人ハ此時亥の大變之記へ有て前
日四日朝のくるいを見て荷物等山へあげ用意致候故諸
道具散失なし五日ニ至り少しも走動せざる由此用意を
見て隣家共亂心者の樣ニいゝしとなり
一五日之朝ゟ晝過八ツ比迄何心なき所へ大地震ニなり
人々足元不立大醉之ごとくはい廻る事も不成たま〳〵かきなどへすかり居候者ハ夫れなりにころび壹足も迯
る事出きず一統ニうろたへ候ゆり止り候ゟ子を尋ねい
ろ〳〵そふどふ致し少し安堵の思ひいたす所に又々湊
ニ汐無き故大潮入ると云ふ亦大走どふニなり有合之食
物をかゝへ老人小兒をおい泣きわめき右往左往ニ山へ
迯けあガり行内間もなく湊口山のことき汐入りきたり
一同死するハ今かと相決し無欲になりしかども汐の干
しを見合よふ〳〵むしろ一枚有合之飯きりニて其夜ハ
畑のきしニもたれあつまり居る朝迄ハ五六十度もゆり
候其内大ゆりすれバなく者有り夜の明るを待兼候無程
夜明るよりゆりも少しハほそくなりけれ共諸道具いも
米等色々山へとり上むしろ明表抔取寄己家を作り我家
へかへる者壹人もなし七日ニ至り少々ゆりも小ゆりニ
なり雨ふり出し迷惑いたし候故思ひ〳〵に我家へかへ
り諸道具を取込ミ居候場合ニ又少し大き成ゆり致し一
同さわぎ出し又荷物を元の山畑へ上夫より己家も丈夫
に直し十五日迄居候而十五日之晩迄に山より下り我家
〳〵へ入り候然共ゆり出せば火けし飛出後々ハくどの
はたへ水をすへ置ゆり出せば水をかけ家を飛出し事實
ニなんの心もなく只々をぢおそれ世渡の業等も不致實
ニあわれ成事ともなり然共當邊ハ流家死人等もなき故
後日ニハ悦び候
一山へあがりし五日の夜の寒サ甚し翌卯の年ニハ老人小
兒寒氣ニいたミ候哉病人夥し
一六日ニいたり川或ハ井抔へ水ましけれ共格別無
一足摺山伊佐村共ハゆりもほそく別條なし
一松尾浦も右同斷
一大濱浦も汐さき川をのほり同所の下りつき迄入
一中濱浦も汐川をのぼり橋の下迄浪先入
一清水浦ハ町の家ののき限りつかる此時鹽濱海と成るま
きの濱小春ト申女鹽濱の堤をとふ場合汐入り來り堤そ
こげ共ニ流レ死ス
一浦尻村も田へ汐入ル越浦別條無加久見村同斷三崎村同
斷ゑた村流失
一川口浦格別無貝ノ川浦其余浦々同斷少々の事小間目浦
家不残流死三人柏嶋無難其余浦々汐入候迄格別なし
一宿毛村町へ汐入り出火流家死人夥し
一足摺山ゟ以布利浦迄格別なし
一大岐村濱われ汐入損田有り一下ノ茅浦汐大入流家有ゑ
ごの田へ廻船市艇干あかり候ごみの宮の前の田に市艇
あかる下茅の濱分不殘家流失
一下田浦つふれ家數々出火無し家ニしかれ死人數々平田
屋の家内家に志かれ死ス
一中村かやり家ゟ出火京町邊不殘焼失家ニ志かれ死人
數々吸田屋ト申家の家内脱カ小兒二人連いろりのはたニ居て
三人共家ニしかれ死ス
此時父足を志かれ其子親を助けんといろ〳〵致スうち
火近寄て不叶父子念佛を申別レやけ死する者有り
蔵ら或ハ家の二かいへあがり家ねぢれ戸不明出る事不
成聲をあげる中火かゝりやけ死する者有り
いろ〳〵むごき死人數々有り
一入野村浦大いたみ一上ミの茅不殘家流失
一久禮格別なし一須崎浦不殘流失此時舟へのりし者舟か
やり弱溺カ死する
一福島浦大いたミ流家死人夥し同浦久市屋老人汐の間を
見て金子とりニ行弱死家内も同斷
一宇佐浦流家死人夥し千軒の浦ニて二十軒斗つぶれなり
ニ殘りし也宇佐浦久禮須崎三ケ浦ニて六十人斗り
一宇佐浦小松と云醫者汐間を考道具を出しニ行婦夫共流
死又婦人子をいだき松木へのほり居る時松たをれ流レ
死ス其外殘念の死人いろ〳〵多し
一高知上町ハ格別なし下町ハ大いたミ其上出火あり死人
夥しいろ〳〵あれ共筆に盡せす高知ハ別而ゆり強し翌
卯の年中家を出る程のゆり月の中ニ四五度も有り
一此時の地震海邊斗り大いたみ郷中ハ無難なり
一御當國汐田損田夥し
一どことも二三年の間ハ月ニ一二度づゝの小地震不絶事
ゆりなをしと見へ候
一瓦家ハつぶれやすし別條なき家ハ柱のさし口いたみ出
來候
一茅家ハつぶれがたし大ゆりの所ハ茅家もかやり候
一大ゆりの時雨戸障子を明る事又火をけす事是第一也家
の中高きしの下ニ居るへからす此時家にしかれ死せる
人夥敷候家のひさしハ一番ニこける者也角様の時心得
べきの第一也
一宇佐浦小松と云醫師兩親ハ宇佐ニて流死むす子ハ高知
へ引越出醫業致し候所此時もりニ子を負せ婦夫三人ガ
家を出迯行しガ町の塀かやり掛り女房と小兒もり共ニ
しかれ死ス實ニあわれ成事此小松左傳太と云ふ人ハ十
ケ年前ニ中濱浦へ醫執行ニ参り居候故替々知人なる故
能〻相志れ候後日見舞狀ども出し候事也
一窪津浦ゟ大谷伊佐松尾中濱邊迄ハ地ゆりあがりし樣子
其内伊佐浦ハ爾來ゟ五尺斗り汐たらず潮ミちの時見へ
ざる岩つからず
一清水ゟ以布利大岐下茅間崎宿毛邊迄ハ地下りし心持ニ
て爾來汐の不來所へ汐くるといふ也
一高知邊もさがりし趣汐みちの時爾來のらぬ所へのる
一上ミの津呂浦の湊舟の出入出來ぬ樣ニなりしと也
一二三年も少々づゝゆりしハ元のごとくゆり直しいたす
樣の事歟四五年をしてハ格別の違イ不見又ハ氣をつけ
ぬゆへかためし見す
土佐地震関係記録
此時流失物夥敷有し所盗ミかくす者いろ〳〵ありしゆ
へ御上より右之通りの高札を浦々村々の辻々へ御立な
されし也此時御召捕ニ相成候盗人ハ辻の道のはたへ
くゝり付食させすほしころせし也
右者私義前日四日ニ浦尻村へ用事ニ付参り候處津浪入り
候事甚し爾來の津浪と違イ汐色赤土の如くにごり幾度と
いふ事なく差引有り
山きわにはへしたき木共なかれ行事夥し
天氣ハ不順なる事ゆへ氣がゝりニて翌五日甚氣遣亥の大
變昨日之津浪等の咄いたし居候中大ゆりニ成候故彼是ニ
付後世心得之爲ニ自刀を以是を立ル益野村ニ石きり有り
て是に□のミ爲仕成候
清水浦へ越す峠道のかたわらへ立る尤此處ニ先祖墓有り
けれ共祖父駒八の代ニ寺へ石ひをとり申候
尤四國へんろ通行之時分墓所ニて休み候をきらい夏ハ此
所ニて涼み候故是きらいし事也
一寳永四年亥十一月四日未ノ刻大地震靜否浦々大潮入流家死
人夥し翌子ノ年中少々ノ地震タエス
一大地震ノ時火ヲケシ家ヲ出ルコト第一也家に志かれ且やけ
死者多シ
一前日ヨリ潮色にごり津波入並ニ井ノ水ニゴリ或ハ干カレル
所モ有り兼テ心得ベシ
中濱浦
池道之助清澂
一裏へ池氏先祖ノ墓所ト有り
一右之文字を碑にかき付立申候實ニ此時諸人の難義言語ニつ
くしがたくゆへに後世のためにも相成べき歟与ぞんし誌之
者也
一此時太守樣ニも御城をさがりに苫己家を御立被爲遊一ヶ月
此度之時節
を窺盜業い
たし候ものハ貴
賤にかゝ〓らつ
召捕勝手次
第尤及手向
候時〓打捨た
り〓も不苦事
年号
干時安政二年

嘉永七寅十一月五日大地震靜否
南無阿彌陀佛
浦々大潮入流家死人夥し
程御巳家住被爲遊候
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 四ノ上
ページ 1112
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 高知
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