[未校訂](二) 安政の南海地震
人々を恐ろしくて生きた心地もないようにさせたの
は、安政元年の大地震であった。その揺り始めは嘉永七
年(一八五四)十一月四日朝から始まり、5日には大揺
りとなり、その夜は前代未聞の大震となって各地を不安
のどん底に追い込んだ。十一日、十五日、二十五日、十
二月十二日、十四日にも強震が続発、ついに不祥を忌み
嫌って十二月十三日に安政と改元したため「安政南海地
震」と云われている。十一月四日朝の地震は、南海地震
を連動させて起こる東南海地震であり、翌五日の地震が
南海地震であった。
大晦日には大体おさまったが、余震は翌年の三月まで
続き、街にも村にも家の中には人は一人もいず、外へ出
て薮に小屋掛けをして野宿生活に追いやられた。『三好郡
志』(九四八―九ページ)は、東山村(現三好町)の古老
の話を聞取りをしている。「ゆれ始めると柿の木の枝は地
につくほどに見えた。その時鳥が飛ぼうとして飛び外れ
たので、柿の木に取り付いているのを見た。そして家や
鳥居が倒れた」としている。