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項目 内容
ID J3000980
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/12/23
和暦 嘉永七年十一月四日
綱文 安政元年十一月四日・五日・七日(一八五四・一二・二三、二四、二六)〔関東~九州〕
書名 〔書簡〕○(淡路島)三原郡八木入田(旧入田村) 小野家文書82-5淡路文化史料館蔵
本文
[未校訂](注、小野重左衛門は当時の庄屋。これは下書、どう訂正
したいのか不明の箇所あり)
甲嘉永七年 又五日七ツ時大地震ゆる也左の通書しらし也夜四ツ時又大震ゆる
寅十一月四日五ツ時大地震エル此年十二月年かわり安政元年也 其夜数しれずゆる也おそろしき事ニて御座候
又大坂大つなみニて人しぬる也舟ニて 左ニこやがけニて十四五間有也御心へ被成候
申嘉永七年寅六月十四日夜八ツ時ニも大地震ゆる也
壱年まへ丑年百日ひてりニて田かれ申候其跡右
大地震ニて御座候
川ニて橋おつる也
紺正借家也亀屋北の西
水ぬき

かき
五人
戸屋利助
ときわ屋・四人
青山氏三人
あか屋
加嶋屋
五人
五人
亀屋
お北
本町
加茂太
四人
四人
大枕屋
二人
細工町新兵衛
かき
西
モカリ
な屋有
ほふし
おり〓
〆二人
周桂
かしわ屋〓
荒井屋
藤吉
五人
米佐二人
紺正四人
ナはたけ


ほたん

紺八
四人
モカリ
内なや
はしり
井戸有

切戸
ク戸
形板
ヱん
ク戸



段はしこ
(藍一〓)
大地震ニて相一亀三斗穴
こほれる
にハ〓ル也
ク戸
角口
ノキ
ノキ
二子屋
四人
奥行立十五間・ま口六間から六間半屋敷也西でる東紺八家也高砂かちや町 紺正家
・原図寸法60.5×40.5㎝
・墨彩
・「はしり」は流し、「ク戸」はかまど、「◎」は藍染かめのこと
安政元年十一月(端裏書)神田様ゟ
別啓を以奉申上候然ニ先達而被仰聞候□成麥壱件麦蒔
後早々相□否可奉申上□之處当月□(♠カ)竒之大地震ニ而村
内疼強御座候而人気穏不成其後迠も昼夜少々宛震動仕候
而(故カ)區々御座候而程能難相片付義ニ御座候
此上恐多ク奉存候得共何卒子春迠御日延被為仰付被下度
奉希上候隋而当秋御年貢米大綱仮算用仕指上申候間御付
合置遊被下(カ)候
尤出財目録之義者右壱件相片付候上相認指上可申候且又
御借財元入銀之義処拂之御米賣拂之處少々不足ニ相見申
ニ付別紙中ニ受取書相認上乘之者持参仕居候間銀子□被
遊□被下候□ 右用事迠申上度如此□
重左衛門
十一月廿日
仙石儀右エ門様
秋守吉左エ門様
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 四ノ上
ページ 1046
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 兵庫
市区町村 三原【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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