[未校訂]松浦弘(武四郎 伊勢須川村の人)より足代弘訓に送れる下田地震の書簡写 □江戸出書状
霜月廿九日着同十三日出但卦中ニ五日認之状有之
昨四日下田大地震大津浪丸つふれ仕候
人死六百余人まん□と私は死ませなんだ
♠国船半つぶれニ相成申候恐惶謹言
五日朝
御地等如何ニ御座候哉御志らせ奉願上候愈御安泰珍重
義ニ奉存候然者拙子無実ニ罷在候乍恐御□慮可被下候
扨当月四日朝五ツ弐分五リ斗の比当下田湊大地震土蔵等
は壁落土地少々割れ申候泥少々出候位の事ニ御座候市中
大騒動仕居候処一刻斗も過候間ニ大勢又々騒キ立候間出
火と存し表ニ出申候処烟も不見候間是は定而♠人共乱妨
仕候事与存候我も内へ脇差を取に入出候処早市中ニ大波
参り申候大工町川岸ニ大船の帆柱揺動致しあたまの上に
たをれ候斗ニ相成候間漸々津波なる事を志りて先山際へ
上り旅宿本□寺へ行んと存候に早市中一面津波にて中々
渡りかたく候間早々了仙寺と申寺の山へ上り見申候処早
一の潮は其節引去り申候に其波の中を渡りて市人并諸役
人等皆山ニ上り申候
扨然るに又烟草一ニふく斗も呑候間ニ二の潮来るやと
人々さわき候得とも一向ニ其様子も無之大工町の辺りニ
烟立上り出火〳〵とさわき候に寺鐘を撞かけ候ニ又弥カ阿カ
治川辺ニ又出火出燃立候間に
二の潮柿サキ浜へつきかけ浪よけ土手を越て下田湊ニ参
り候に其浪にて二ヶ所の出火消九百軒の人家一時に□将
棊倒し与相成候青海原と相成候八百石以上の船十三艘程
下田町を相越思方村本郷村の畑中また村中に上り其時♠
国船は若の浦と申処に繫き有之候処早纜切れて犬走島の
上の方鷗島の下の方に漂ひ来りしに早三段にかはし檣一
段ニ致し大ゆれになりて流れ来りしか其二の潮の引につ
けて元の辺りへもとりたり扨またしはし有て三の汐柿サ
キへつき候けるに此汐にて百余軒の柿サキ村一時に砕か
れ皆流れ又其辺りに繫し大船凡十七八艘比船皆五百石ゟ七八百石迠也村
中に打上ケ砕かれ流れたり其汐下田の方へ廻り来りたれ
とも最早一軒の家もなく青海原のこと故に其汐本郷中村
思方村の辺一面にさし込て山際まて相かけたり
扨其時♠国船は七分傾に成て又鷗島の方に来るや最早大
半破れ候哉ニ相成候間親を失ひ子を失ふ人民も一時にシ
タア〳〵と㐂ひ山の上畑の端に行て大声上て悦ひたり其
時此大変にて失ひし面色を改メこぶしを握りて志ばしハ
やまざりけり
扨其二の汐三の汐にて子を抱て逃る女や親を負て山に上
るものも皆水底に沈ミ或は樹の梢にかヽりまた流れ行屋
根棟に乘てさけふ声実ニ目も当られさるさま也然れとも
其中にも♠国船の傾ふきて今にも相砕かれんとする時は
其者ともシタア〳〵と喜ひけり四の汐五の汐六の汐も最
早追々干潟にも成候時節に付追々輕く相成候又流れ家も
無故か大に静まり候趣其より山の上に逃上り候ものも皆
九ツ比に下に下り候也
川路様松本様等皆本覚寺山の上に陳取馬印幕を押立候而
其中にこもり給ひ彼処此処にて流れ候伊丹樽の□しをぬ
きて飲また井戸は皆埋れ川の水は一滴も無様に相成候其
辺り皆泥海と相成候間飲水と云もの少しも無私共等のも
の渇しては酒を飲ミ畑に出て大根を引て喰飲食少しもな
く実に地獄縁鬼修羅の有様一時に来り候斗之次第ニ御座
候
又其中に諸役人様旅宿へ其さわきを見かけ候て盗人に入
候□めも有之候実ニ我等が筆状□(陟カ)さるべき事に御座なく
候
纔一時半斗の間に千軒の下田百五十軒の思方村漸く残る
家は坂下町と申ニ拾八軒有之候事ニ御座候其余山の際に
在候寺は半流れ位ニ相成候其寺に御止宿ニ相成候
伊沢美作守様御宿寺同□寺半潰れニ相成候床の上泥水つ
き申候
古賀様旅宿不残潰れ候荷物皆流れ鎗も失われ申候
都築様御旅宿寺皆流れ荷物少しもなし
村垣様御旅宿長楽寺無難少しのいたミ
應(カ)様所福泉寺流れ申候
筒井様御旅宿海襌寺皆流れ
川路様御宿泰平寺皆流れ
松本様御旅宿本覚寺皆流れ
其外魯西亜人休息所皆流れ
小普請所半潰れ
黒川様新宅御役所皆流れ
同心屋敷拾一軒新宅皆流れ
魯西亜人小休息所了仙寺半潰れ
其外御勘定衆御徒目附御普請役衆は皆町宿ニ御座候間着
の身のまゝにて逃出され候斗の事ニ御座候
尚青山様用人筒井様陸尺日下部様家来其外諸役人衆家来
多く死去有之候
又日本人三人内女壱人男弐人♠国船ニ助られ□(カスレ)有之候
又♠船ハッテイラ壱艘柿サキ浜ニ打上ケ七八人乘居候も
余程痛ミ有之候其外弐艘程□(ウスイ)申候
右五六人の異(カ)人は翌五日昼比迠柿サキ村の畑に大根を喰
て居申候五日漸々送り届ケニ相成候
又楫は折れて柿サキ浜打上ヶ船底の敷板砕て宿(カ)の浜と申
候処に打上ヶ当時五六十人斗ツヽ日々上陸仕候作事致し
居申候
又♠船ニ水入候由ニ候日々水車弐挺ツヽにてかへ居候右
水車少し油断致し候て直ニ弐尺斗ツヽ深く相成候船中必
死ニ相成かへ居候由御座候我々は泥中ゟ俵を引上其米
を渇(カ)の□煎て喰居申候井戸は埋れ是をかへ候て汐入候
て少しも飲メ不申候渇し候時は酒を飲米のの(カ)るニ御座候
其夜三度程地震仕候左候得共さしたる事なし
五日又九ツ比大津浪来り重難いふ□(も)なく□(伝カ)聞致し候我々
本覚寺山ゟ本郷村江引移止宿仕候処夕六半比又津波来リ
申候下田岡方村へ上リ候得共最早流し候人家無故にさし
てさわき不申候二の汐も凡十丁斗上の方迠上リ申候
六日今日諸役人様方惣寄合ニ而村垣与三郎様夕七ツ比ゟ
梨本村迠出立ニ相成候江戸ヘ御越相成候
今日ホーチャチン ホスセツ リソシケ等上陸仕候中村
為弥横田新之烝永村定六郎次郎等応接有之候乘船大破ニ相成
候引取□候ニ付乘船作事之儀願出候
七日ホーチャチン ホスセツト リソシケ等長楽寺へ上
陸 中村横田永村応接有之候ニ付今朝魯西亜人其鼻□弁
天に大砲不残上り申候追々普請に相懸リ申候
左に付下田湊にては出来兼候間兵庫遠州浜松両所の内拝
借仕度由願出申候由ニ御座候八日又中村横田永村等長楽
寺ニ出船よりも上陸仕候応接有之候左之通持上リ申候
阿部伊セ守様へ
写真鏡道具 一式
エレキテル道具 一式
八五之敷の靼通花毛羶 一枚
□之□ 一反
紫キヤマンの花生 一対
ひし□ 一箱
時斗の置もの台にヲヽルコウル 一箇
遠めかね 台仕懸 一箇
白銀の太刀 一振
筒井肥前守様
大鏡高サ一丈巾四尺一枚
本白焼花生 一対
白銀の太刀 一振
遠めかね 一
紺らしや 一反
川路左衛門尉様
大鏡 同前 一
白銅の茶ひん高サ壱尺斗□代のもの壱
琿(ママ)天機 一
♠(カ)金地球の器 一
黒羅紗 一反
松本様
白銅茶瓶 川路様同様 一
紺羅紗 一反
伊沢様
紺らしや
ヲヽルコウル
都築様
同
其外古賀村垣黒川等へも献上有之候畧ス
又此方ゟ差上候ものはいまた遣しニ相成不申候得とも何
れ近々御遣しに相成候由
銅 大板 千枚
同 大釘 千本
同 ヒヤウ釘 一万本
其外俵物等も沢山御渡ニ相成候由
十日江戸ゟ御廻しニ相成候被下物
十一日
あひる 百羽 そうめん 五箱
いも拾三〆目 拾俵 ねき 弐俵
大こん 五百本 にんしん 五百本
玉子 千
其外米穀も余程薪水ハ不申及被下に相成候同日川路様ゟ
猪壱疋 重□一荷被下ニ相成候さま〳〵と夷人の御機嫌
を御取なされ申候実ニ長大息之至ニ御座候
扨又今日応接有之候処船中最早飲食無之最早三日之貯
漸々之事之由ニ御座候 ホーチヤチンも蒸餅を喰て茶を
飲ム斗之由ニ御座候実ニ轍(ママ)底之至之由申出し候之由ニ御座
候扨然るに彼等之誰か内通致し候もの有之哉近頃又志州
鳥羽湊を拝借仕度由又々申出候由実ニ獅子の虫の多き世
の中に御座候
同十一日♠人四人御小人目附山田翁普請役荻野才助下田
同心服部建蔵等同意ニ而網代ゟ熱海辺を巡見ニ行れ申候
此網代□間敷つて此処にて作事ニ被成候由ニ御座候
十二日柿サキ村玉泉寺ニ而筒井川路両奉行
御目附等応接ニ相成候
同日 玉子 千 そうめん 五箱 鶏 百羽
又々被下ニ相成候如此夷人にへつらゐ無の有様故 天神
地祗も悪□小事と歎息の外無御座候先はあら〳〵申上
候 早々謹言
十三日 松浦拝
足代大人
下田湊潰流れ候分 八百十六軒
同 伴潰 廿五軒
同 水かふり 拾八軒
同 死人 八十四人
思方村 百拾一軒
柿サキ村 七十二軒
本郷村 二十七軒
中村 十二軒
其外死人諸家様人数小普請方日雇のもの船頭船方凡五六
十人
大船 凡三拾五六艘
ニ御座候其余松崎村不残流れ申候何歟書しるし度候事沢
山御座候何も丸はだか□のさへも無御座候次第ニ御座候
間何分例の乱筆御権察奉願上候 恐惶謹言