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項目 内容
ID J3000511
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1819/08/02
和暦 文政二年六月十二日
綱文 文政二年六月十二日(一八一九・八・二)〔美濃・尾張・伊勢・近江・大和・京都〕
書名 〔中村全前日記〕○彦根・平田町町代 中村尚氏所蔵彦根城博物館寄託 B6b-447
本文
[未校訂]十二日 晴(中略)未過刻大地震大変也
彼地の見舞もそこ〳〵にして帰宅 年寄ハ格別之事もな
し 水辺に近き程つよきよし近在法方人(方々のコトか)損しも有之 当
藩中にも白壁町なと家つふれ 其外にも有 人損しも有
長順寺前京橋辺地面などわれ候よし 年寄なとも少しツ
ヽ十人□の家作損しハ有之也前代未聞此辺に珍敷大変也
十三日 晴 法方損し候所を大工と示(カ)談に及 夫々外向
を直しにかヽる(中略)今日迠も法方見舞人有之 地震
南ほと強きよし□□寺の御堂抔も大分つふれ 日虚(彦根?)ねな
とハ六拾軒余つふれ家有之よし大変也
十四日晴巳ノ前刻より法方へ見舞に行く未の過刻
帰宅 川原町より役人呼に来リ組頭三郎助を遣わす 千
代宮山こほち □(節カ)一日町内より出□候様頼被申候 酉過
刻より□□与平方土蔵いたみ候ニ付何角見舞ニ参頼
家ノ内普請たゝり等有之にハ如此書テ
日月浄明徳佛亀さかさまに張付テ置ハたゝらす
十五日 晴 町々大工左官屋根瓦直しなと取掛(カ)
十六日 晴午の前刻より曇八幡ハけしからぬ大荒不
残 家作等半ハつふれ半ハつふれ同様之趣にて今日菊次
在所へ参り候ニ付幸ひ中嶋太郎兵衛殿へ見舞旁菊次遣す
素麵弐十抱為持遺す
廿六日 晴 今日も土蔵普請ニ而雇人なとにて取片付も
のにていそがし
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 四ノ上
ページ 385
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 滋賀
市区町村 彦根【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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