Logo地震史料集テキストデータベース

西暦、綱文、書名から同じものの一覧にリンクします。

前IDの記事 次IDの記事

項目 内容
ID J3000330
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1751/05/21
和暦 寛延四年四月二十六日
綱文 宝暦元年四月二十六日(一七五一・五・二一)〔越後西部・越後高田〕
書名 〔知則日記〕○彦根彦根市立図書館蔵 歴史118―12
本文
[未校訂](五月)
六月 同(天気よし) 今日ゟハ余□ス□□□□□大野木村ゟ□□先
月廿五日夜少々斗地震ゆり尤長クゆり申候其
地震北国大キなる事之由仰遣書有り
一北国筋当四月廿五日ゟ同廿七日迠大地震ニ付北陸
道□□路之内親不知と申所三里モ間(ママ)山抜ニ付通路
相絶加州御家中衆江戸往来之衆右山抜之場所指閊(カ)
木曽路へ被罷帰候衆中も有之加州ゟ江戸へ参候衆
中在之場所ゟ罷帰り候而此筋へ被罷通候
一加州大聖寺松平備後守様御交代先月廿八日江戸御
発駕被遊候由決テ右之場所指閊此筋へ俄ニ御通も
可罷成哉之由
一右地震ニ付越後高田御城落候由尤武家町家共大半
致焼失□(候カ)由在之義ニ付北国筋以之外騒動仕候由依
之以書付申上候以上
五月五日
鈴木六郎衛門
□村□兵衛様
□与五衛門様
(宝暦二年正月)廿日 終日雪ふる(中略)八ツ過ニ地震ゆる
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 四ノ上
ページ 218
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 滋賀
市区町村 彦根【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

検索時間: 0.002秒