[未校訂]須崎寳永津波溺死之塚高知県須崎市糺町大善寺墓地下
寳永津波溺死之塚
此の塚ハ昔寳永四年丁亥十月四日大地震して津波起こり須崎
の地にて四百餘人溺死し池の面に流れ寄り筏を組かむが如く
なるを池の南地に長き坑を二行に堀(掘)り死骸を集め埋め[在|あり]
しを今度百五十年忌の[弔|とむらい]に此處に改葬するもの也其事を
営まんとする折しも安政元年甲寅十一月五日又大ゆりし
て海溢しける[か|が]昔の事を傳[聞|えき]且記録もあれ[ハ|ば]人〻思[ひ|い]
當たりて我先にと山林に[迯|にげ]登りけれ[ハ|ば]昔の如く人の[損|そこない]し[ハ|は]
[無|なか]りし也[惟|ただ]其の中に舩に乗り沖に出んとして[逆巻|さかまく]浪に[覆|くつがえ]さ
れ三十餘人死したり痛ましき事也
何となれ[ハ|ば]衆に洩れて[斯|かく][ハ|は]せし[そ|ぞ]と云うに昔[語|かたり]の中に山に登り
落ちくる石にうたれ死し沖に出たる者[恙|つつが]なく帰りしと云う事
の有を聞誤認しもの也早く出て沖にある[ハ|は]しら[す|ず]其るきの時に
当たりて舩出する事[ハ|は]難かる[へ|べ]し[誡|いまし]む[へ|べ]き事にこそ[将|まさに]昔の
人[ハ|は]地震すれ[ハ|ば][迚|とて]津波の入る事を[弁へす|わきまえず]浪の高く入り[來|きた]る
を見るよりして[迯|にげ]出したれ[ハ|ば]おくれてかたの如き難に[逢|あえ]り
哀れにも又悲しま[さ|ざ]らんや地震すれ[ハ|ば]津波は起こるものと思[ひ|い]
て油断[ハ|は]すま[し|じ]き事なりされ[と|ど]ゆり出すや[否|いなや]の入るにも
[非|あら][す|ず][少|すこし]の間[ハ|は]あるものなれ[ハ|ば]ゆりの[様|さま]を見[斗|はか]ら[ひ|い]食物衣
類等の用意して[扨|さて]石の[落|おち][さ|ざ]る[高處|きところ]を[撰|えら][ひ|び]て[遁|のが]る[へ|べ]しさり
[迚|とて]高山の頂迄登るにも及[ハ|ば][す|ず]今度の浪も古市[神母|いげ]の邊[ハ|は]
屋敷の内えへも入ら[す|ず]昔も伊勢[か|が]松にて♠数人助かりしとい
ヘ[ハ|ば]津波とてさのみ高きものにも[非す|あらず]是等百五十年以來
二度迄の[例|ため]しなれ[ハ|ば]考えにも成る[へ|べ]きなり今[茲|こ、に]此[営|のみ]を成すの
印旦後世[若斯|もしかか]る折に[逢|あわ]ん人の心得にもなれかしと衆議し
て石を立[其|ての]事をしるさんことを余に請ふ[因|より]て[其荒増|のあらまし]を[挙|あげ]
て為に書付ける者也 安政三年丙辰十月四日古屋尉助[識|しるす]