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項目 内容
ID J3000195
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1703/12/31
和暦 元禄十六年十一月二十三日
綱文 元禄十六年十一月二十三日(一七〇三・一二・三一)〔関東〕
書名 〔北条村史〕○千葉県池田和弘著H13・4・19 宮沢書店発行
本文
[未校訂]五、災害
○元禄地震
 元禄地震は、元禄十六年(一七〇三)十一月二十三日[丑|うし]
の刻(午前二時頃)に発生し、安房の沿岸村々は津波によ
り多数の死者をだすと共に、家屋・舟・漁具等が流され、
漁民に大きな損害を与えた。隣接の館山新井浦では「潰家
二十一軒、半潰家十一軒、死者四人」(嶋田駿司家文書)の
被害があった。この地震は「震源房洲沖」、地震の大きさは
「マグニチュード八・二」と『千葉県気象災害史』(銚子地
方気象台編)にある。
 北条村の被害状況を享保十一年(一七二六)差出明細帳
によると、「北条村の内に[塩場|しおば]これあり」「元禄十六年大地
震にで[干潟|ひがた]に[罷|まか]り成り、塩稼ぎ成り難く、畑に仕り候」「大
地震にて[浦方|うらかた]悪敷罷り成り、段々不猟相続き候」とある。
土地隆起について「神戸区長代々引継古書」に、「地表に亀
裂を生じ隆起は十尺と推測せらる」と。北条村内の塩場も
陸地化してしまったので、塩田や漁業への被害も大きかっ
た。漁業については、漁業年貢の請負人(第四章第五節二
2「請浦制」参照)も不漁となったので、職務を放棄して
生国へ帰ってしまい、漁業は次第に衰退していった。
 なお「館山市の沿革誌編輯に資する参考書」(高山恒三郎
著)に次のように掲げている。
 昔から言い伝えにも元禄年間の大[海嘯|つなみ]で六軒町一帯は
一軒残らず流出され、多くの死者又は行方不明の人も沢山
あった事と思います。私の家なども当時の主が先祖の位牌
一つを持って避難して、現在其位牌は残っております。又
その証拠には屋敷の表鬼門に当る場所に樹齢千年以上経
たと申す「さいかち」の樹が残っております。
 古老の口承として、「元禄地震で亡くなった人々を供養
するため、浄円寺墓地に地蔵菩薩が建てられている」と言
うが、見当たらない。現在建つ地蔵菩薩像の側面には「元
禄三年(一六九〇)庚午十月」と刻まれているので、かか
わりはない。
(注) 干潟=潮がひいて遠浅になった海岸。
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 四ノ上
ページ 73
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 千葉
市区町村 北條【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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